外伝 ZELDA

序章


美しき愛玩人形(ジョリ・マリオネット)? いいわね、それはまた、ゼルダ皇子の好きそうなこと――。大都マーザ・フォーメルを三日で陥落させた殺人人形(マーダードール)とあらば、頼もしい限り」
 ぜひ、皇太子とゼルダ皇子にクレールの侵攻を食い止めて頂きましょうと、妖艶な美貌の皇妃が、冷酷に微笑んだ。
「大国カムラの皇子にふさわしい武勲となります」
 しかし、報じた者は顔色を失くして皇妃を見た。
「――皇妃様、恐れながら、皇太子はまだ十八歳、ゼルダ皇子にいたっては、いまだ十四歳の若年です。この侵攻は手に余ります、親征軍ですら、苦戦は免れ――」
 ビシっと、手にした細いムチでその者を打ち、皇妃が告げた。
「サイアス、親征軍が苦戦するとは、斬首されても文句の言えない暴言です。クレールごとき魔術王国に、陛下のカムラが危うくされると? 皇太子などでは、返り討ちが関の山とでも? そのようなこと、もし本気ならば陛下に申し上げ、その首落として差し上げましょうか。陛下の皇太子に、平定できぬものですか」
 皇妃の瞳の確信が、何であるのか。
 サイアスはもう、考えまいとした。恐ろしい、皇妃。触らぬが身のためなのだ。これまで、何人がその一声に殺されたか、ようとして知れない。
 部屋を出た皇妃を、薄笑みで迎える皇子が一人――
 それと認めると、鮮やかな赤を呈した皇妃の瞳に、瞬く間に憎悪と嫌悪が満ちた。
「そこで何をおしよ! ゼルダ!」
「父上から伝言を預かって参りました。ですが、お取り込み中のご様子でしたので」
 遠慮していました、と、美貌の皇子が告げる。微笑んで見せていたが、目はまるで、笑っていなかった。
「立ち聞きなど、皇子のすることではありません! 恥を知りなさい!」
 皇子はくすくすと笑った。
「何がおかしいのです!?」
「美しいお顔が台無しですよ、――それだけがあなたの取り柄なのに」
 そんな風にヒステリックに叫ばずとも、お望みなら行きますよ、と。
 マーザ・フォーメルだろうと火の中だろうと、そんな場所に兄一人、行かせはしない。決して。
 ゼルシア・ランガーディア皇妃。
 彼女はこの世で唯一、フェミニストと名高いゼルダが敬意を表さない女性だ。
 ゼルシアは皇妃だったゼルダの母妃を、ゼルシアを親友だと信じていた女性を、過去、暗殺した。その長男、皇太子だったゼルダの兄も、ゼルシアを糾弾しようとしたため暗殺した。
 ゼルダの名は、裏切りの証。
 ゼルシアを可愛がっていたアーシャ皇妃が、彼女から取ってつけたもの――
 一体、ゼルシアの耳にはこの名がどう響くのだろうと、ゼルダは時々、その呪わしさを思う。
 ゼルダ・ライゼルファン・リフェイア・アド・カムラ。
 血塗られた歴史を持つ国、大帝国カムラ。皇帝には皇子が六人、皇女が四人。
 その美貌の第五皇子の名を、ゼルダといった――
 
 
「兄上!」
「くどい、ゼルダ。たとえお前の言う通り、これが皇妃の罠だったとしても、父上が私に命じられたのだ。わからないか」
 皇妃の進言により、皇帝にクレール制圧を命じられた、その夜。ゼルダは一人、皇太子の居室を訪れていた。
 魔道を極めた隣国クレールが、カムラに侵攻し始めたのは数日前だ。たった三日で大都を制圧し、カムラに大きな打撃を与えていた。
「この程度の戦役、収めて凱旋できぬ皇太子に用はないとおっしゃられているのだ。皇妃が良からぬことを画策していたとしてもな。ゼルダ、皇妃が恐ろしくば、お前だけここに残るがいい。足手まといはいらぬ。私は誰にも皇太子は譲らぬ、渡さぬ。この私が、カムラの皇統を継ぐのだ」
「兄上――」
 ゼルシアの皇子は第四皇子だ。その皇子を皇太子に据えるには、まだ、現皇太子と第三皇子が邪魔だった。皇妃が嫌っていながらゼルダに手を出さないのも、この後、上二人を殺さなければならないところ、余計な者まで殺していらぬ嫌疑をかけられたくないためだ。
 今回の戦役は、直接手を下すこともなく邪魔者を葬れる、皇妃には格好の機会だったことだろう。
 ――だが。
「残るものですか、私は決して、ゼルシアの思惑など通さない。あなたがどうしても行くとおっしゃるなら、この命に代えてもあなたは守ります。決して、死なせない!」
「ゼルダ……」
 大きく、難しい戦役だ。無事に凱旋すれば、得る名声は、けしかけた皇妃を逆に追い詰める武器にもなり得る。ゼルシアとて、大勢いる妃の一人――決して、絶対の権力者ではないのだから。
 
 
 翌朝。
 皇太子とゼルダ皇子の軍が出立すると、見送りながら、ゼルシアは居室で一人笑った。
 マーザ・フォーメルからの使者を殺し、握りつぶした情報がある。
 交戦したマーザ・フォーメルのカムラ軍、一人残らず戦死したのだと。文字通り全滅したのだと、使者は報じた。
 カムラには、いるかいないかのレベルの魔術師が、数十、あるいは数百いたのだと。しかも、カムラお家芸の死霊術、精神を操るものが、ほとんど効かないのだと、使者は報じた。
 もし、それが事実なら。
 奪われた大都は取り戻せまい。
 あらかじめ結界を張り、備え、この先の侵攻だけでも食い止める以外に手はあるまいが、その皇子を皇太子に据えるためなら、大都の一つくらい、くれてやろうよとゼルシアは考えていた。
 これで皇太子が死に、ゼルダ皇子も死ぬ。うまくすれば、逆上した皇帝自ら、親征軍を率いて臨むかもしれない。戦場で、皇帝まで戦死してくれれば――残る第三皇子のみ暗殺すれば、晴れて、彼女の子が皇帝だ。その暗殺すら、クレールの仕業に見立てられる。
 
 ゼルシアの「大都一つで済むだろう」という見込みが極めて甘いこと。
 クレールの脅威が、カムラの存続すら危うくするものだということ。
 
 まだ、カムラの誰一人として、知らない――

第一章 クレールの魔術師