絆 〜背信の砂漠の鷹〜

序章


「こちらがいいに決まっていますわ。何を考えておいでなんです、あなたは!」
「やや、もちろん、姫の選んだものに文句はないがのう。もう少ぉーし、もう少ぉしだけ、サービスしてもいいんじゃないかのう」
「お祭りじゃありません、母君の命日なんですから」
 今日も、カムラの皇妃様のお部屋は賑やかだ。
「あ〜……」
 ティリスにどんな衣装を着せるかで、もめる上皇と女侯爵。肝心のティリスは置いて行かれ気味だ。
 カタリーナが選んで来たのはしっかりとした白生地の、品の良いフォーマルなドレス。落ち着いて清楚、ほとんど肌を見せないタイプのものだ。――式典向き。
 ゼルダ上皇が着せたがるのは若葉色の、肩を出すタイプのドレス。華やかで、それでいて決して品位は損なわない。――夜会向き。
 両者センスの良さはさすがだが、
「しかしのう、姫や。式典には喪服で参列するわけで、こちらは従兄殿の誕生日、その祝いの席で着るものじゃろう? ならばのう」
「あの地の方々は、そんな、ひらひらしたドレスはまといませんわ。いい加減になさって」
 ティリスはと言うと、正直なところは、カタリーナに賛成だったりする。しかし、上皇の数少ない楽しみを、その好意を無下にするのも申し訳ない。
「何を集まっているんだ?」
 顔を出したのは、レオンだ。政務が終わったようだった。
「あ。ちょうど良かった、おまえはどっちのドレスがいいと思う?」
 珍しくそんなことを聞くティリスに、レオンが着て見せろと言うから、着て見せて。
 レオンは睨むようにそれを見て、間もなく、心が決まった顔で告げた。
「こっちだ」
 おお。
 血は争えない。
 ガッツポーズを決めたのは、言わずと知れたゼルダ上皇だ。一方、沈痛に額を押さえるカタリーナ。
 選ばれたのは、つまり若葉色の華やかなドレスで、軽く伸ばしたティリスのプラチナ・ブロンドがよく映えた。
「そっか。じゃあ、これにしようかな」
「……どこに着て行くんだ? 夜会の予定なんてあったか?」
「うん、ちょっと母上の故郷を訪ねるんだけど、従兄上の誕生日にさ。砂漠の郷に行く時だけは正装しろって、母上の言いつけなんだ」
 父の国(シグルド)では正装しなくていいのに、母の故郷(カイム・サンド)でだけ正装しろという、よくわからない言いつけだったが、言いつけは言いつけだ。母にとっては、譲れないことだったのだろう。
「……」
 レオンがむうと眉をひそめた。
「私に見せるんじゃないのか?」
「え? あ、うん、そうだな」
 むむむっと、その眉間にさらにしわを寄せて、それから、レオンは前言撤回した。
「それなら、角女のでいい。ドレスは来月の夜会で着るんだ。クリスの誕生日に着るんだ」
 ぽかんとレオンを眺めるティリス。レオン皇帝陛下、不機嫌。
 ――やがて。
 ティリスは吹き出した。
「何だよ、妬いてんの? こんなの、おまえが着て欲しいんならいつでも着てやるよ」
「――本当か?」
「うん」
 レオンはすぐに機嫌を直すと、いつもより綺麗にした、気に入りの皇妃を抱き寄せ、その髪に軽く指を絡めた。明るい、さらっとした白金(プラチナ)の髪が指を流れる。そのまま、彼は彼女に口付けた。
「……ん……」
 カムラに数々の伝説を残す、誇り高き姫君。二十歳を過ぎる頃からスラリと背も伸びて、『鷹の皇妃』の二つ名まで取るティリスが、唯一、彼女自身を支配させるのがレオンだ。
 皇帝は皇帝で、皇太子時代にはさかんに狂気を取り沙汰されながら、彼女を正妃に迎えた頃から、様子が一変していた。今では賢君とさえ呼ばれていたりする。本人は何も変わらないのに、変わったと確信する民衆が、愛の奇跡を謳ったりするのだから、思い込みは興味深い。
 何にせよ、大帝国カムラの若き皇帝と皇妃を擁する皇室は、今や、国民の憧れの的となっているのだった。
 ――いや、局所的に。
「おお、そのように妬かずとも、姫にはわしが」
 げしげしげし。
 ティリスとレオンの仲が妬けて仕方ないカタリーナに、体よく八つ当たりされて快感らしいゼルダ上皇に憧れる変態さんは、幸い、カムラにもあんまりいない。
「うん、じゃあ……オレ、明日から四ヶ月くらいカムラ留守にするから、クリス達よろしくな」
 ティリスがさらりと告げた言葉に、レオンが軽く目を見開いた。
「……四ヶ月? 明日から? 何の話だ、聞いていない。私がいつ許したんだ」
「えっ。なに、今許してくれよ。駄目なのかよ?」
 ――そりゃ、駄目でしょう。
 ティリス皇妃、もう一つ、皇妃としての自覚が足りないご様子。
「駄目に決まってる。どうして四ヶ月もかかるんだ。シグルドまでなら十日だ」
「父上の国じゃなくて、母上の故郷に行くの! 砂漠の少数民族のオアシスだから、行くの大変なんだよ。十年ぶりだし、片道一ヶ月以上かかるんだから、一ヶ月くらいは滞在するだろ!?」
「馬鹿も休み休み言え、どうして私が、四ヶ月も我慢しないとならないんだ! 駄目だ、四ヶ月も私の傍から離れるなんて、許さない!」
「何、勝手言ってんだ! 母上の十回忌なんだから、行くったら行くんだから、そ――」
 ふいに、強く喉元をつかまれ、たまらず悲鳴を上げたティリスの首を、レオンが容赦なく絞めた。抗おうとするだけ力を込められ、息もできず、ティリスが苦しげにもがくのを、残酷な笑みで見ていて。彼女がいよいよ力を失い、無抵抗になる頃やっと、レオンは彼女を放した。
「行ったら殺す。行くのは許さない、呼べ」
「……か…ってなこと……何が殺すだ! できるもんか! やれるならやってみろよ、……オレ、行くからな!」
 おまえにそんなことできるもんかと、いっそ挑発的に笑うティリスを、レオンもいよいよ憎々しげに睨んだ。
 痛めつけても無駄だぞと、今度やったら五ヶ月戻ってやらないんだからなと、逆に脅迫されるに至り、
「……行ってみろ、――死んでやる」
「……えっ……」
 怯んだ。いつものわがままかと思っていたら、そんな――
「四ヶ月も五ヶ月も、おまえ、私に会えなくて平気なのか! おまえはいつもそうだ! 平気な顔で置き去りにして、私がどんな思いで探し回るか考えもしない! もう、いい、勝手にしろ!」
 彼女を突き飛ばしたレオンの両眼が、赤かった。
 いやな、予感。
「や……だめ! いや、死んだらだめ! 嘘だろ!? だめ! ちゃんと死んだりしないって、待ってるって、約束してくれよ!」
「してやるものか! おまえも思い知ればいいんだ!」
「レオン!」


「……いつまで続きますの?」
 紅茶を一口飲んで、お姉様がぽつり。
「姫が帰郷を取りやめるまでだろうのう」
 同じく、上皇がぽつり。
 皇帝が「ティリスは私を思っていない」と子供のようなことを言って聞かなくなるのはいつものことで、こうなると、まず、その最初の意向が通らない限り収まらない。
 しかし、この十回忌は遺言でもあり、ティリスには決して譲れないものだ。
 かといって、あの皇帝にティリス四ヶ月待ち、というのも無理な話だし。
「仕方がないのう。久方ぶりにわしが政務を執るかのう」
「そうして頂きましょう。ですが、四ヶ月もあなたが政務を執ったら姫様のカムラが台無しになりますわ。十日にして頂きます」
「おお、そのような。本物の賢君をつかまえて」
 嘘でもないのだが無視して取り合わず、カタリーナはスっと席を立った。
「皇帝陛下、ゼルダ上皇が政務を任されて下さるそうですわ。あなたが、ティリス様をお連れなさい。皇子たちは私が見ます」
 目を見開いてティリスが驚く。
「……私が? そうだな――」
 ふむと顎に手を当てて、考え込むレオン。
「え、ちょっと、それまずいって。皇帝が四ヶ月も国空けたらだめだろ。オレ、一人で行けるから……」
「姫様、皇妃が四ヶ月国を空けるのも論外ですわ。ついでに申し上げるなら、一人にして心配なのはあなたではなく陛下です」
 ぴしゃり。
「フ、珍しくいいことを言うな」
 待て! 認めるのか、認めちゃうのかそこ! しかも、いいことなのか!?
「いいだろう、私が屍竜で連れて行ってやる。四ヶ月も必要ない。二日で行くから十日で済むぞ」

 ――ぶっ。

 ティリスは目を剥いた。
どあほう!! そんなんで行ったら、侵略と間違われる! 撃ち落とされるだろ!」
「どうしてだ。侵略なんてしない」
「侵略以外で、ドラゴンゾンビが空から降ってきたりしねえっ!!」
「うるさいな。なら、クリスに守護輪サークルをかけさせればいいんだ」
 クリストファは八歳になる、二人の長男だ。
「ああもう、クリスの方術に頼るのはだめ! 何にしたって、屍竜で乗りつけるなんて礼儀知らず甚だしいんだから、だめ! だめったら、だめ!」
 話がちっとも進まないので、再び、カタリーナが助言した。
「姫様、あらかじめお断りした上で、近くのオアシスまでだけ、乗りつけさせて頂けばよろしいのですわ。従者などは予定通りに明日立たせ、ルンアース辺りで合流なさい」
 大きく目を見開いて、感心してカタリーナを見るティリス。さすがカタリーナ、と素直に感謝して、朗らかに笑うティリスだから、カタリーナは仕えるのをやめられない。誰より彼女を理解してくれる、彼女の大切な、聡明で真っ直ぐな姫君。
「どうしてそんな面倒なことをするんだ。目的地まで直に乗りつければいいだろう」
 もちろん、わからない奴もいる。
「姫様、陛下をお連れするにあたり、一つだけ、お気をつけ願いたいことがあります。ジークフリートお兄様はじめ、あの地の方々は、高潔な霊媒師メディウム。不届き者こそいませんが、陛下とは、致命的に相性が悪いでしょう。陛下が無礼を働かぬよう、陛下のために、お気をつけて」
「あ……」
「?」
 首を傾げるレオンに、ティリスは少し苦笑した。
 撃ち落とされる、と言ったのは決して大げさではない。
 屍竜など、魂を抜かれればただの屍。魂を解き放つことにより、死霊術を無効化できるのが、霊媒師だ。
「レオン、オレ、ちゃんとおまえの傍にいるから――、母上の郷里では、おとなしくしててくれな?」
「いいぞ」
 ちゃんと傍にいる、が気に入ったらしく、レオンは機嫌よく承諾した。
 かの地には、聖アンナの力も届かない。
 死霊術師としても方術師としても、行く先ではレオンは極めて役立たずとなる予定なのだが、本人に危機感はさらさらないようだった。むしろ、いつも通り極めてロイヤルに、傲慢に振舞いそうで不吉な予感。

 こいつをどう取り繕うかが、今回の最大の試練だなと、ティリスは心密かに闘志を燃やすのだった。

第一章 砂漠の国