神殿の少女

神殿の少女


【挿絵】雫月ユカ様  ふいに、子供達の笑いさざめく声が、ゼルダの耳に届いた。
 神殿の中庭に、可憐で優しげな少女が、数人の子供達を遊ばせる姿があった。
 渡り廊下の中ほどから、ゼルダが見るともなく見ていると、少女が視線に気付いた様子で振り向いた。
「誰? あの、何かご用ですか……?」
 澄んだ琥珀の瞳が印象的な、十四、五の少女だった。
 少し緊張した面持ちで、ためらいがちに尋ねる少女に、ゼルダは優雅に微笑みかけた。
「とても、いいと思ったんだ。君も子供達も楽しそうで、可愛らしいから、しばらく眺めていたかったんだけど、気付かれてしまったね」
 驚いたのか、少女の目が軽く見開かれ、白い頬がほんのりと赤く染まった。何か言いかけて途惑う少女の袖を、子供達が「ねえ、はやく遊ぼう」と、次々、追って来て引いた。
「あ、あの、あなたはどこへ……?」
「――聖アンナに会いに」
 正装したゼルダの麗姿は、それにふさわしいものと見え、少女は素直に信じた。
「アンナ様に……あの、道は、わかりますか? ご案内、し、しましょうか」
 しどろもどろに言う様子が、とりわけ可憐で、ゼルダはふふと笑った。
 (ひな)にはまれな美少女とはいえ、ゼルダこそ、傾国のと(うた)われるほどの美少年だ。老若男女を問わず、ゼルダに微笑まれた者はたいてい動揺して、浮き足立った。
「おいで」
 手招いて、人見知りしながらも歩み寄ってきた少女の髪にゼルダは軽く指を絡めると、身を引こうとする少女を捕らえて、その髪の上から、優しくキスして離した。
 驚いて声も出ない少女に、尋ねた。
「名前は?」
「……っ」
 少女は涙目でゼルダを睨んで、半歩、身を退いた。
「あ、怒っているの? ごめん、君があまり、可愛かったから――」
 少女は涙が零れそうな瞳をゼルダから背け、掠れる声で尋ねた。
「あなたは……?」
 その問いに答えることに、ゼルダはためらった。ここは神殿だ。憎まれるかなと、思ったから。
「――ゼルダ・ライゼルファン」
 凍りつくように、少女の表情が強張った。
 ゼルダが想像していたより、ずっと、強い反応だった。
 異性に触れられたのは初めてなのか、彼から逃げるようにしていた琥珀の瞳で、少女が悪夢を見るように、ゼルダを見た。
「ライゼル、ファン……?」
 少女の震えが、ひどく激しくなった。それは、緊張や怯えからくるものではなく、憎悪と痛みからくるものだった。
「帰って! 皇宮に帰って! あなたの話など聞かない、アンナ様は聞かないわ! 二度と来ないで! あなたなんか――!!」
「――……」
 その言葉が石つぶてのようにもなると、少女は知っていたろうか。
 ゼルダは痛みを隠した微笑みを見せ、何も言わず、そこを立ち去りかけた。
 その背に、少女が嗚咽まじりに、名を投げつけた。
「私はシルフィス・レダス、父様も母様も、一度だって、皇妃様を殺そうとなんてしなかった! しなかったのに――!!」
 後から後から、溢れてくる涙を止めることもできずに、子供達を置き去りに、シルフィスは駆け去った。子供達が顔を見合わせながら、彼女の後を追っていく。
 ――シルフィス・レダス?――
 どこかで聞いた名だ。
 記憶を手繰り、間もなく思い至ったゼルダは、息を呑んだ。
 レダスは罪姓だ。皇族を暗殺した者の親族が、改姓を強いられる。
 その罪姓を名乗り続けなければ、その者は直ちに極刑とされ、断首されてしまう。たとえ従っても、子供は十八歳で奴隷とされ、死ぬまで鞭打たれ、働かされるのだ。まして、少女は、獄舎で慰みものにされることになる――
 レダスは冤罪だ。
 ゼルシアに、前皇妃暗殺の冤罪を着せられたのがレダスなのだ。
 冤罪で両親の首を刎ねられ、彼女自身の未来も閉ざされ、少女がどんな思いでいるか、想像には難くない。
 ――シルフィス、か――
 皇妃を糾弾できれば、彼女もまた救える。
 少女は知らないけれど、彼女の命運は、ゼルダと一蓮托生だ。
 ゼルダはふいに、不敵な微笑みを浮かべた。
 決して、手を抜くつもりはなかったけれど、生きている誰か、それも、あの少女のためというのは悪くない。
 これは、全霊を懸けるに足る。あの子綺麗だったなと、ゼルダは思い返して、少し高揚した気持ちで相好を崩した。