雪月花の物語

雪月花の物語


 随分、死者が多いな――?
 イルメスの言葉が気になり、ヴァン・ガーディナの師や従者を調べたゼルダは、ざっと調べただけでも随分な死者の多さに眉をひそめた。生きていれば、ヴァン・ガーディナを支えたはずの人々なのだ、どういうことなのか。こんなでは、ヴァン・ガーディナは孤立無援で、苦境に立たされても誰も頼れない。ゼルシア皇妃はヴァン・ガーディナを皇太子に据えたいはずだ、それならば、まさか殺すはずのない人々だったし、いったい、何者の手に掛かったのか――
 

 二人の妃と夕食後のデザートを楽しみながら、その居室でゼルダが尋ねた。
「ねぇ、ヴァン・ガーデン物語って知ってる? 死を司る氷のヴァン・ガーディナって、聞いたことあるかな?」
 途端、アデリシアが目を輝かせた。
「アデリ知ってます! でも、死を司る氷のヴァン・ガーディナだなんて、ゼルダ様、誰に聞いたんですか? ヴァン・ガーディナ王子はそれは素敵な方で、雪の化身で、乙女の夢なんですよ♪」
 絵本を持ってきますね! と、部屋に走って、すぐに戻ったアデリシアが、興奮した様子でゼルダの手に豪華な装丁の絵本を押し付けた。
 ヴァン・ガーデン物語の表紙は白亜の城の大階段で、優しい桜色のお姫様に、ヴァン・ガーディナのような王子様が手を差し伸べる、幻想的な絵だった。
「もしかして、この王子様、ヴァン・ガーディナとかいう?」
「ええ、そうですよ! それでね、愛するお姫様が――」
 やっぱりか。似合い過ぎではある。
「ゼルダ様です♪」
「――はぁ!?」
「うふふ、花の化身のお姫様は、ゼルダのお花の化身ですもの!」
「ちょっと、何それ、聞いてないよ!」
 だから、いつかゼルダに見せたかったのだと、アデリシアは大喜びだ。
「ヴァン・ガーデン物語って、神話から創られていて、御伽噺(おとぎばなし)にはたくさんの種類があるんですけど。さっき、ゼルダ様が仰ったのは『冬女神の死の庭園』だと思います。でも、アデリは断然『雪月花の物語』と『庭園の崩落』がお勧めですし、ヴァン・ガーデン物語といったら、ふつうはアデリがお勧めした御伽噺のどちらかなんですよ。『冬女神の死の庭園』なんて、かなり邪道です! モテない殿方のひがみだと思います!」
 ――ぶっ!
 まあ、言ったのは確かに『モテない殿方』だった。
「『雪月花の物語』では、月の女神の嫉妬を受けて、お姫様が呪いを掛けられてお花にされてしまった姿がゼルダの花で、お姫様は二度と、雪である王子様とは会えなくなってしまうんです。でも、ゼルダ姫は愛しのヴァン・ガーディナ王子に会いたい一心で、雪が消える前に早咲きするんですよ! すっごく、切ないでしょう!?」
「ぐはっ!」
 いやだー。ヴァン・ガーディナに会いたい一心で早咲きなんてしたくないー。それとか切なくないー。
「雪と花が、あまり長くは共存できない運命ですから、悲恋になりがちみたいです」
 あやしい。アデリシアが悲恋ばっかり勧めてるんじゃないの。『冬女神の死の庭園』は悲恋じゃない。
 アデリシアの絵本にもあったので、ざっと読んでみたところ、厳冬の地は、欲深き人間に生命を許さない聖地ゆえに美しいという物語だった。創世の遺産ヴァン・ガーデンを守護する冬女神が、その息子、氷と吹雪のヴァン・ガーディナに命じて人々を残酷に退ける様子が語られてゆく。物語の最後は雪解けの庭園で、ゼルダの花が咲き乱れ、動物達が春を謳歌する。決して、邪道な感じはしない。これをモテない男のひがみとするのはどうか。『死を司る氷のヴァン・ガーディナ』という言い様がモテない男のひがみなのか。
 シルフィスが読みたそうに絵本を見るので、アデリシアに許してもらって手渡すと、シルフィスは宝物のように絵本を開いて、丁寧に読み始めた。庶民には、絵本は高価だ。憧れても、文字が読める頃には孤児となっていたシルフィスは、手に取ることが出来なかったのか。今度、贈り物にしてあげよう。
「それでね、ゼルダ様?」
 アデリシアが話の続きを聞かせようと、ゼルダの袖を引いた。
「涙なしには読めないのが『庭園の崩落』なんです! どんな病も癒す薬草を探して、冬女神の庭園ヴァン・ガーデンに迷い込んだ美しい娘を、雪精の王子様が助けて下さるの。でも、息子である王子様が恋に落ちたと知った冬の女神が、王子様を惑わす邪悪とみなして娘を殺そうとして、王子様は娘を庇って、冬の女神を滅ぼすと王子様も消えてしまうのに、滅ぼしてしまうんです! もお、アデリシア泣けて泣けて……! それで、世界で最も美しかったヴァン・ガーデンは崩落して、守り抜かれた娘は悲しくて、寂しくて、神様に願ってお花にしてもらうんです。崩落したヴァン・ガーデンを慰めるために」
「……ああ、そう……」
「ゼルダ様、やっぱり、お姫様の御名じゃ嬉しくないですか?」
「うーん、それもあるし、兄上にヴァン・ガーディナっているんだよ。なんか凄くヤだ、あの人と悲恋とかありえない。ゼルダを虐める意地悪な継兄(ままあに)とかのが似合う」
「まあ!」
 夜会にいらしたお兄様ですか!? と、アデリシアが夢見るような目をして手を組んだ。
「きっと、それなら神話の方から取ったんですね。御伽噺だとお母様が悪役になってしまいますもの。神話では、冬の女神ゼルシアの美しい庭園がヴァン・ガーデンと呼ばれる場所で、長い冬の間、庭園に降る雪が息子のヴァン・ガーディナ、短い春の庭を彩る可憐な花が娘のゼルダなんですよ。女神様は月に象徴されますから、雪月花が揃う、雪解けの月夜が最も美しいヴァン・ガーデンなんですって♪」
 ――そうくるか! それも素敵に嬉しくない!
 とはいえ、ゼルシアも似合いすぎではあった。授かった真っ白な子供に、親が神話から取ってつけたのだろう。
 そ れよりも、ゼルダの命名はもとよりヴァン・ガーディナの命名も皇妃アーシャだったと聞いている。亡き皇妃が何を期待して皇子にゼルダの名を与えたのか、もの凄く悩ましかった。泣きたいし。
 勘弁して下さい、愛しの母上様と、ゼルダは胸のうちで絶望の涙を流したのだった。――合掌。
 
 
 翌日、兄皇子の方は知っているのかと思って、ゼルダは何の覚悟もなしに尋ねてしまった。
「兄上、ヴァン・ガーデン物語ってご存知ですか?」
「いや? 知らないが、どんな物語だ?」
 そんな話を振れば、興味を持たれて当然だと、失言に気付いても遅かった。
 王子様とお姫様の恋物語です、なんて、答えられるはずがないゼルダは、返答に窮した。
「いえ、不適切でした。ただの童話なので、執務を――」
 途端、ヴァン・ガーディナが失笑した。
「おまえって、私の想像の斜め上を行く墓穴の掘り方するな。何だか知らないが、知られたくない話なら、そういう時は鎌を掛けるんだよ。まぁ、これで一つ賢くなったな? その物語はぜひ探してみよう」
「いえ、ちょっとやめて下さい! ただの童話ですから!」
「私の名前みたいだし、おまえがどうして知られたくないのか、兄上様はぜひ知りたいから諦めなさい」
 あぎゃー!
「ちょうど、そろそろ飽きてたんだ。それ楽しみに、真面目に謝罪しようかな」
「謝罪って、兄上さっきから、ひと言も謝ってないじゃないですか!」
 先日の夜会で、ゼルダが名家の子息を何人ものしてしまったので、その後始末に追われているのだ。元領主イクナート派の者達が、徒党を組んで直訴にやって来たためだ。
 しかし、兄皇子ときたらゼルダを傍に控えさせ、口を挟むことは禁じた上で、とんでもない対応をしている。
 一人ずつ通して訴えを聞いては「貴殿の子息のしてくれたことは、この私がゼルダを陥れようとして、失敗したという風評を招くでしょうね。貴殿も、そのおつもりで?」とか「十五歳のゼルダを成年の者が大勢で取り囲んでおいて、死者もなくのされるなんて、大失態だな。ゼルダの人望が高まるよう仕向けた貴殿に私の(ため)と仰られても、私がどんな感情を抱いているか、あなたのご想像では?」とか、年長の権力者を相手に淀みなく威圧するわ脅迫するわ、あげく、退室させた後にのたまう。
「駄目だな、使えない。ゼルダ、お前の目で見ても私に威圧されていたよな、今の奴? 十七歳の皇子に威圧されてどうするんだ」
 兄皇子に言わせれば、謝罪というのは、面倒を見てくれる相手に対してするものらしい。まだ十七歳の皇子なのだ、こんな時には上から物を言うべきだし、騒動の収拾を引き受けて、青二才に模範を示すべきだろうと言う。誰にもそれが出来ないから、謝らないだけだよと。
「ですが兄上、あなたは瞳に魔力があるから別格ですよ、冥魔の瞳、使っていないでしょうね?」
「そんなの、おまえが見極めろ。冥魔の瞳の魔力は意識しなくても働くじゃないか、私の知ったことじゃないよ」
 いずれ、兄皇子が冥魔の瞳を使っていたとしても、それに負けるような手合いでは、見込みがないのは確かだ。
 何か言う前に、ぐうぅきゅるると、盛大にゼルダのお腹が鳴った。
 いつもなら、私邸で食卓を囲む時間だ。領主館でも食事は(まかな)われるものの、ゼルダは兄皇子より先に食べてはならないと、厳しく言い渡されている。今夜は、ずっと兄皇子に付き従って、我慢しているのだ。『私がお腹を空かせているのに、おまえだけ食べるなんて許せないな』と笑顔でのたまわれてしまっては。
 ゼルダの後始末をしてもらっているのだから、文句も言えない。言えないのだけれど、空腹で、とても切ない。
「おまえ、情けない顔だな?」
 ヴァン・ガーディナがにやにやしながら言った。兄皇子の胃袋はどうなっているのか。食べ盛りのゼルダには、兄皇子がどうして平然としているのか、もはや理解不能の域だった。
「……お腹が減りました……」
 泣きそうだ。
 仕方なさげに立った兄皇子が、食堂に用意されていた食事を一口ずつ確かめて、許可した。
「ゼルダ、食べたら帰って構わない。残りの奴は私が一人で片付けてやるから、優しい兄上様に感謝しろよ?」
「えぇっ! そんな、私の不始末なのにあなたに押し付けて帰れないでしょう! 兄上こそ、お帰りになられて下さい。あと二組くらい、私が――」
「おまえに任せたら、また乱闘騒ぎにするんじゃないのか」
 ――ぐふっ、それとか無限ループだ。
「あの、兄上せめて、夕食はきちんとお取りになられて下さい」
「満腹になると、雰囲気が緩むだろう? 相手は『権力の闇に巣食う魑魅魍魎ども』だぞ、経験が違うからな。侮りすぎると、痛い目を見るかもしれない」
 余裕の笑顔で対していても、ヴァン・ガーディナがそれなりに真剣なのだと知って、ゼルダは少し意外な気持ちになった。
 兄皇子が失敗するなど、ゼルダには想像もできないためだ。
 けれど、兄皇子の方は謙虚にも、食事を取ったくらいで失敗する可能性が高くなると判断しているようだった。
 たぶん、ヴァン・ガーディナの判断が正しい。相手はゼルダにのされた若いのじゃなく、その親御だ。仮にも、それぞれの方法でライゼールを牛耳ってきた連中なのだ。ヴァン・ガーディナなら失敗する気がしないゼルダの方が、おかしいのだろう。
 それとは、また別に気になることがある。兄皇子がしているのは毒見ではないのかと。
「でしたら、食べたらやっぱり、最後まで控えます。睨みを利かせてる時にお腹が鳴らないように、食べさせて頂きますけど、すぐ済ませますから!」
 ヴァン・ガーディナは嬉しそうにしたくせに、憎まれ口を叩いた。
「私も疲れた。早く帰りたいからな、おまえ、もたもたするなよ」
「はい。――私でも控えた方が、少しは、お役に立ちますよね?」
「愚弟が息子さんをのしてしまいましてと、おまえに頭を下げさせるのと、私が頭を下げるのとじゃ、だいぶ違うからな」
 素直じゃないけれど、少しと言わず、だいぶ役に立つらしい。
「だ・か・ら! あなたはひと言も謝ってないし、私にも頭下げさせてませんから!」
 ヴァン・ガーディナは心地好さげに笑って、食堂を後にした。
 
 
 ほんの一月前まで、アーシャがどうして、ゼルシアを信じたのかわからなかった。
 けれど、兄皇子の誠意と優しさに強く惹かれるゼルダには、皇妃になる前の、アーシャと懇意にしていた頃のゼルシアが仮にこんな風だったとしたら、もはや、母妃の気持ちがわからないとは言えなかった。
 ヴァン・ガーディナは冥影円環にかからない。それでも、アーシャの死を笑っていた。
 愛情や信頼を失いたくないと思う感情が欠落しているとしか――
 あの人は、ゼルダが死んでも笑っているのだろうか。ちょっと都合が悪いだけで、悲しまないのかなと思うと、この想いには価値がないのかなと思うと、何だか、ひどく寂しかった。