聖魔伝説 外伝≪聖≫

紅葉の中で

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● らぶらぶ警報 ●
本編を読むには全く支障のない外伝です。そして、ちょっと冗談じゃない甘さです。
今ならまだ間に合います。帰るなら、今

* 先頭  T  U

≪2001.01.06完結≫

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木の葉の最初の一枚が紅く染まったら――
あなたを連れに来て、構いませんね?


 T

 葉を赤や黄に色づかせた木々が、晴れ渡った秋の空に良く映えていた。

 何年ぶりだろう、彼とこの場所に来るのは。
 結婚を5日後に控え、都合がついたからと、セルリアードが外に連れ出してくれたのだ。
 子供の頃には、リシェーヌと3人でよく分け入った山。
 さくさくと落ち葉を踏みしめながら、何か面白い木の実でも落ちていないかと探しつつ、サリディアはちらとセルリアードを盗み見た。
 積もった落ち葉が足に心地良く、適度に肌寒い。
 手をつなぎたいのだ。
 子供の頃には、セルリアードはいつもリシェーヌの手を引いていて、当時はそれをどうとも思わなかった――というより、サリディアもリシェーヌの手を引いてみたくてたまらなくて、隙を見ては、セルリアードに代わってリシェーヌの手を引いた。
 リシェーヌは可愛くて、臆病なのについて来たがるものだから、ひどく手の引きがいがあった。後を一生懸命ついてくるのも、また健気で微笑ましかった。
 自分が、リシェーヌほど可愛らしくないのは知っている。
 あんなふうに可愛がってほしいと思うだけ、無謀なんだろうなとは、思う。
 けれど――。
 勝手につかんだら、いやがられるだろうか。
 お願い、してみようか……。
「サリディア?」
 その様子に気付いてか、セルリアードが「どうかした?」という顔で問いかけてきた。サリディアはどきっとして、真っ赤になって、しどろもどろに言った。
「あの、手、つなぎたいなって……ええと……」
 どうしよう。
 セルリアードはいやかもしれない。あまりべたべたしたがらない人だし。
 言ってしまってから、サリディアはひどくうろたえた。
 セルリアードはそんな彼女の様子にくすっと笑うと、きゅっと彼女の手を取った。
 サリディアはびっくりして、次には嬉しくてたまらなくなって、顔を綻ばせた。
「あ、ありがとう」
 セルリアードはにやっと笑うと、その手をくいっと引いて彼女を引き寄せ、口付けた。
「――んっ――」


 その肩がひどく硬くなっていて、首筋に触れると、彼女はますます苦しげにして、彼の腕の中で身を縮ませた。
「おまえ、余裕ないね」
「よ……」
 面白いなと、彼はおかしそうに笑った。
 普段は可愛げがないほど落ち着いていて、判断も滅多に誤らないのに。
 サリディアが混乱した顔で、それでも手を引かれるままについてくる。
 ちょっと思いついてふり回してみると、彼女は最初びっくりした顔をして、次には面白そうに笑った。
 遊んでもらえて、嬉しくてたまらない顔だ。可愛い。
「どこに行こうか?」
 滝もあるし、子供の頃に作った小屋跡もある。
 風が気持ちいいし、歩いているだけでもいいけれど――
「一番上まで、登りたいな」
 自覚があるのかないのか、期待に満ちた目をして彼女が言った。つい今しがた振り回されたものだから、息が弾んでいる。
「歩いて?」
「うん」
「いいけど――」
 どうしてかと問うと、彼女はふいにつないでいた手を離し、逃げるように木立の後ろに隠れた。
「サリディア?」
「た、たくさん一緒にいられるから……」
 思わず笑ってしまい、それでも、彼は彼女を迎えに行った。
 適当にごまかせばいいのに、ごまかせないのがおかしい。
 背中が見えたので、後ろからぐっと抱きしめた。
 サリディアがびっくりして、小さく悲鳴を上げる。それでも、案外ほっとするのか、すぐにおとなしくなった。抱きしめる彼の腕に、遠慮がちに手を添えて、温かそうにしている。
 解放すると、彼女ははにかんで笑った。
 少し残念そうにも見える、幸せそうな笑み。
「行こうか?」
「あ、はい」
 サリディアはあわてて彼の横に駆け寄ると、また楽しそうに歩き始めた。


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 8合目辺りで、道がなくなってしまった。
「道がないな。おまえ、ここ、一人で登れるか?」
 セルリアードの問いに、サリディアはうんと頷いた。
「あと少しだよね」
 それからちょっと考えて、彼女は彼に言った。
「セルリアード、競争しよう! 先に頂上まで登った方の言うこと、聞くやつ。セルリアードは50数えてからね」
「ふうん? 50で勝負になる?」
 サリディアはにこりと笑った。
「ゆっくり数えてね!」
 セルリアードが思わず吹き出した隙に、サリディアはさっと駆け出した。


 50、というのはもちろんハンデだ。
 この手の遊びは子供の頃によくやった。
 吹き出したのは他でもない。
 昔、百数えてから、と言われて素早く百数えてから追いかけたら、もちろん彼女が負けて、数えた数えていないのケンカになったのだ。
 その後、リシェーヌが証人に入るようになり、さらにその後、「リシェーヌの十」というハンデが定着した。セルリアードに数えさせるのでなくて、リシェーヌに数えてもらってハンデにするのだ。「リシェーヌの十よっつ」とか、「リシェーヌの十ななつ」とか。
 それにしても――
 あまりゆっくり数えていたら、数えている内に、登りきられてしまいそうな勢いだ。彼女は服が汚れるのを気にするでもなく、比較的無難なルートを選びつつ、かなり本気で駆け上っている。動きはことに良い。サリディアだし。
 少女と言えど、障害物競走をさせたら、そこらの男より速い彼女のことだ。あまり手加減してもいられない。
 適当な速さで五十数えると、セルリアードは、こちらも本気で駆け上り始めた。聞かせたい言うことなんてないのだけれど(あったら何もなくても聞かせるし)、ハンデ付きで彼女を負かすことが面白い。
 負けるかと思ったけれど、山が思いのほか険しく、サリディアもさすがに苦労していた。
 9合目にかかる頃には、追いついてしまった。
 少し上の方から、「手、貸してあげようか?」と言う顔で見下ろすと、サリディアはむうという顔をして、頑固に首を横にふった。
 仕方がないので、彼女を待ちながら登ることにする。
 もちろん、いざという時には助けに入れるようにだ。冗談抜きに険しくなってきたので、置き去りにするわけにはいかない。
 そして、いよいよ頂上付近に来る頃には、サリディアも相当疲れたようで、しまいに最後の断層を前に、途方に暮れてしまった。
「手、貸してやろうか?」
 彼が言うと、彼女はちょっと考えて、こくんと頷いた。
 彼が差し伸べる手に、手を伸ばす。
 彼がしっかりそれをつかむと、サリディアはひどく幸せそうな顔をして、その手に引き上げてもらって、そこを登った。


 セルリアードの力強い手が、しっかり彼女の手をつかみ、引き上げる。
 それだけのことが、不思議なほど嬉しかったのだ。
 その思いに突き動かされるように、サリディアが遠慮がちに彼の胸にしがみつくと、セルリアードがぐっと抱きしめてくれた。
 彼女はしばらく、その腕の中で、身に余るほどの幸福感をかみ締めていた。


 解放されると、サリディアはくるりと向きを変え、タっと駆け出した。
「サリディア?」
 誰が立てたか知らない、山頂に立つ古い旗を取って、にこりと笑う。
「勝った」
 ……。
「こら」
「お願い、聞いてもらっていい?」
 わくわくと、いたずらな子猫のような瞳で見上げられ、誰に逆らえるだろうか。つい、許してしまう。可愛らしすぎだ。
 セルリアードが仕方ないなと笑って、「何?」と聞くと、彼女はセルリアードの正面に立ち、真っ直ぐ彼を見た。
「サリディア――?」
「何か、あなたのためにできること、したい――」
「……え?」
 彼はいつも助けてくれて、そばにいてくれる。傷つけるばかり、足手まといになるばかりの彼女なのに、笑って許してくれて、優しくしてくれる。それが、どんなに――。
 彼女が一生懸命訴えるのを、セルリアードは黙って聞いていた。
「私で役に立てること、ない……?」
「――ある」
 もう、二度と取り戻せないと思っていた。愛する資格も、愛される資格も。
 彼には負った『業』がある。関わる者を巻き込まずにはいられない、深いものが。
 そして彼に関わったがため、彼女とて例外なく、その業に巻き込まれている。
 受けなくていい責めを受け、冒さなくていい危険を冒し、なお、文句の一つも言わずについてきてくれる。
 彼の方こそ、彼女の存在に、どんなに救われているか。
 今は日々、武芸の手ほどきもしている。女性にはつらいものだ。
 それすら、彼女は健気に修めようとする。
 不自由のない、平和で安定した生活を与えてやれない彼を、彼女は決して責めない。責めようともしない。
 むしろ、どうにか彼について行こうと、その手ほどきを受け、彼の指導に感謝さえしてくれるのだ。
 それは一見、たいしたことではないのかもしれない。
 けれど、決して簡単ではないと、彼は思う。
 彼が精神的に安定していられるのは、彼女が彼の全てを受け入れて、彼が負うものと、共に闘ってくれるから、だ。
 受け入れるだけなら簡単だ。『それでもいい』と言うだけなら。
 けれど、肝心なのは潰れずにいてくれること。生きていてくれること。未来につなげようとしてくれること――
「私がおまえに望むこと、おまえはみんな満たしてる。それでもまだ、何かしたい?」
 サリディアがびっくりした顔をして、けれど、すぐにこくりと頷いた。そんなの、納得いかないらしい。
「そう――」
 そこまで言うなら、お言葉に甘えようか。
「――この先、何があっても、どんなにつらくても、私のそばにいると――誓える?」
 彼は試すように、彼女に問いかけた。
「必ず何かある。私は――」
 彼は少し目を伏せて、それから静かに、彼女を見直した。
「おまえを置き去りにして、先に死ぬかもしれない。おまえを助けられないかもしれない。それでも、私を愛したことを後悔しないと誓える?」
 まだ『アルバレン』の名で生きていた頃、彼女に再会してから、何度も悪夢を見た。
 間に合わずに死なせる夢。
 その手で彼女を殺す夢。
 今はわかる。
 直感だったのだ。彼女をそばに置くことが、その死につながると、その死にしかつながらないと、十分すぎるくらいに身に染みていたから。
 奇跡的にか、彼女ゆえの必然か、『アルバレン』の名が呼ぶ負の連鎖を断ち切った今、悪夢を見ることはない。
 手は血に汚れたままで、犯した罪が消えることもない。死の影は一生ついて回るだろう。
 それでも、今は殺さなくていいのだ。
 思いのままに、大切なものを守って生きて行ける。
 それだけで随分違い、今は、生きていたいと思える。
 気がかりなのは、それが彼女の望むところなのか、ということだ。
 失う可能性が高いものを、その覚悟で、なお愛したいのか、ということだ。
 彼自身が逃げ続けてきた、悪夢。
 愛さなければ悪夢は成立しない。愛さなければ、愛する者を失うことはない。
 彼を失った時、彼女が彼を愛したことすら後悔するなら、彼は――彼女をそばに置いたことから、後悔するしかない。
 それでも彼女が愛しくて、彼女に応えたくもあって、手を取った。
 その後悔すら、する覚悟で取った。
 彼自身は、彼女を失う覚悟も、彼女を壊し、後悔する覚悟も決めている。
 けれど、彼女は?
 悲劇すら、受け入れられるのだろうか。
 そんな覚悟、今まで通り、彼一人で負ってもいいのだけれど――
 彼女には重いなら、それでいい。
 それでも彼女が愛しいのだから。
 リシェーヌの分だって、負ってきたのだから。
 妹とサリディアのためなら、どんな覚悟だって決められる。
 彼女が何かしたいと言うから、少し、わがままを言ってみただけだ。
 どれほどの深さで、覚悟で、彼女を抱き締めるのか、誓いを立てるのか、ちょっと、誰かにわかってほしいと思っただけだから――
 サリディアは静かに彼の手を取ると、驚くほど綺麗に笑った。
「誓います」
 真っ直ぐ彼を見て、彼女が告げる。セルリアードはわずかに目を見張り、重ねて問うた。
「――おまえの全てにかけて?」
 サリディアはこくりと頷くと、はにかんだ、それでも心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「何があってもそばに、どんなことになっても、後悔しないこと――私の全てにかけて、誓います」
 セルリアードはじっと、その真意を確かめるように、彼女の瞳を見た。
 澄んだ、類稀な知性と強さを秘めたその瞳。運命を恐れない瞳。
 嬉しそうだなと言うと、彼女はうんと頷いた。
「私、何があっても、そばにいていいんだよね? どんなことになっても、あなたを好きになったこと、後悔しなくていいんだよね?」
 ……むしろ、何があってもそばにいたいのか。
 それを許してもらえて嬉しいのか。
 そうだよと、彼が目を細めて笑うと、彼女はにこにこして言った。
「ありがとう。幸せになろうね。後悔はしないけど、つらいから、死なないでね」
「おまえもね」
 この子は――
 掛け値なしに愛してくれる。そばにいたいと思ってくれる。今を精一杯、生きることに迷わない。
 敵わないなと、思う。
「それで、どうしたらいい?」
 わくわくと、期待に満ちた瞳で彼女が尋ねた。
「……」
 今のは?
 この程度のこと、何かしたうちにも入らない……?
「――」
 彼がこの覚悟を決めるのに、どれだけ葛藤したと思っているのだ。
 彼女はとっくに、この程度の覚悟は決めていたらしい。
 先を行ったつもりで、やっと追いついていた……?

 ……ハンデだ。

 ハンデがあったのだ。リシェーヌを助けるまで、進むなという。
 そうだ。
 ハンデが50ほど、あったに違いない。
 すぐ追い抜ける。
「……おまえの、まともな手料理が食べたい」
 弱みをついてみる。
 サリディアは途端に小さくなった。
 勝った。
 貴族でこそないが、サリディアはしょせんお嬢様育ちだ。
 男手に育てられた上、家政婦がいたわけで、お世辞にも家事が上手いとは言えない。
「あの……すぐ? 少し、時間かかってもいい……?」
「いいよ」
 彼が余裕の笑みを見せてそう言うと、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「すぐには無理だろう、おまえ」
 サリディアはますます小さくなって、こくこくと頷いた。
 許してねと、上目遣いに彼を見ている。
 可愛い。
 きゅっと抱きしめると、ほっとしたように身を預けてきた。
 だから、可愛い。
「……頑張るね。できなくてごめんね……」
「家政婦でも雇う?」
「………………できなかったら」
 セルリアードは小さく吹き出した。弱気だ。気持ちはわかる。
 この間寄った時の失敗ぶりでは、弱気になるなと言うのが無理だろう。
 サリディアは「失敗したから」と出さなかったのだが、彼女がちょっと席を立った隙に、こっそり見に行ったのだ。味見だけして、見なかったことにしたのは秘密だ。

 頑張ってもらおう。

* あとがき

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