聖魔伝説≪逸話≫

アルバレン

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「いたぞ! こっちだ!」
 出血がひどい。
 敵に血の跡をたどられている。逃がさない気なら――

     *

「ラルフ! 『アルバレン』が出たって!」
「何だと!?」
「そこで殺し合いしてる!」
 家に駆け戻った少年が、そう言った途端だった。爆発音がして、家屋が揺れた。
「ティラ! おまえ逃げてろ! 俺は見てくる」
「やだ、俺も行くよ!」
 そう主張した少年に、がたいの良い大きな男――ラルフ――が容赦なく怒鳴りつけた。
「バカヤロ! 金魚のふんじゃねえんだ、俺の役に立ちたいなら、俺の手を借りずに逃げてみろ! それとも、一人じゃ逃げられないほどガキなのか!」
「そっ――そんなことないよっ」
「じゃあ行け、すぐそこでやってんだ、ガキじゃないなら、巻き込まれるなよ!」

     *

 まったく、ティラにも困ったものだ。『俺は子供じゃない!』と言っては何でもかんでもやりたがるのだから。

 子供だっつーの。

 ほんの五歳の少年なのだ。子供じゃないと言っても説得力はない。
 殺し合いの現場はすぐにわかった。本当に近くだった。
 危険だ。アルバレンは平気で周囲を巻き込むらしいから、隠れるよりは逃げた方が良い。もっとも、ラルフ自身には逃げる気など毛頭なかった。
 誰を殺しているのか知らないが、『アルバレン』など野放しにしておけない。死神だか何だか知らないが――
 剣を抜き、改めて状況を見て、ラルフは驚愕した。
 手負いの子供――!?
 人間は大勢いたが、どれが『アルバレン』なのかはすぐにわかった。
 身に纏う黒衣。輝くような銀の髪。噂通りの姿で、見紛いようがなかった。
 けれど、それはまだ十五、六の少年だったのだ。それを、だいの大人が数人がかりで殺そうとしていた。
「てめーら、何してる!」
 ラルフが怒鳴った途端だ。新手の敵とみなしてか、少年が斬りかかってきた。
 後で思ったことだが、この時の感じを「心臓をつかまれたような」と表現するのかもしれない。少年の動きはそれほどまで速く、刺すような殺意が、その蒼い瞳に宿っていた。
 ――やられる!
 カン!
 初太刀を受けただけで精一杯、いや、受けただけでも奇跡のようだった。
「行け」
 少年がわずかに言った。
 ――!?
 受けたのではなく、少年があえて受けさせたのか。
 途中で敵ではないとみなしてくれたらしい。
 どこか怪我しているようなのに、少年の目に、助けを求める色はなかった。
 強く、鮮烈に澄んだ蒼の双眸。
 これが人殺しの目か。
 見えるのは憎悪や嫌悪といった暗い感情ではなく、もっと澄んだもの――痛みと悲しみ、そして、怒り。
 ラルフの知る、忌むべき人殺しの目ではありえなかった。むしろ、彼を殺そうとしている者たちの方が、そういう目をしていた。
 女性と見紛うような、美麗な顔立ちをした少年だった。敵を見据える瞳に、思わずどきりとするような、美しさと鋭利な危うさがある。
 痛み。
 なぜか、表面には見えないそれが最も強く感じられ、気になった。
 シュッ
 少年が手刀を放ち、数秒後、追っ手の一人が倒れる。
 アルバレンは、間違いなく人殺しだった。この若さで、驚くほど殺すことに慣れている。
 なのに、なぜ、そんなに澄んだ目をしている?
 ぱたっ
 動くたび、黒衣から血が滴った。
 動ける状態ではないのではないか。
 追っ手の一人が何かを放った。
 ――弾薬!――
「危ねえっ!」
 どうしてかわからない。
 ラルフはとっさに少年を庇い――
 庇われることに慣れていなかったのだろう。
 少年が反射的に突き出した刃物に、右胸を切り裂かれていた。
「ぐっ……」
 さっきから爆破してやがったのは、やつらの方か。
 アルバレンが巻き添えを気にしない、というのがどこまで本当かはわからないが、少なくとも追っ手の方はそれを気にはしないらしい。
 で、追っ手が殺した分までこいつのせいになるわけかい。
 屍の山を見ながら、仕方ねえなと笑う。どうやら、それでも少年が勝ちそうだ。さすがは『アルバレン』というところか。
 多分――
 たとえば自分のせいにされたとして、少年は否定しないだろう。彼がいなければ、巻き込まれることもなかった命だろうから。
 それに、まあ、こいつも確かに。
 毒刃を使っているとは、ほめられたものではない。
 少年に殺す気がなかったからだろう、傷は浅かったが、体が痺れて動かなかった。

 致死性のない、痺れるだけの毒ならいいんだが、致死性のやつだろうなあ……。
 塗る毒に手加減しねえよなあ……。

 意識が遠のいて行く。

 間抜け、やっちまったなあ……。

     *

「……あ……?」
 生きてる?
 ラルフが次に気付いた時には、闘いは終わっていた。彼に気付け薬をかがせて気付かせたらしい少年が、来いと言うようなそぶりを見せた。
「何だ……? ついて行くとでも……」
 構わず、アルバレンは先に行った。血の跡が残る。

 あいつ、傷が塞がってねーのか!
 って、俺もか……。

 まだ痺れも残っていて、傷の手当てなど無論ない。あれからそう、時間が経っていないのだ。
「っくしょう!」
 気になってしまって、ラルフはつい追いかけた。
 人の少ない道を選びながら、アルバレンは郊外に向かっていた。
 どうやら外れまでくると、アルバレンは不意に立ち止まり、ラルフを見た。
 ここに来る頃までにはラルフの方こそ出血と痺れで、ふらふらになっていた。やばい。死ぬかもしれない。何をやってるんだ、俺は。
 つくづく馬鹿だと思う。

 つーか、やつは何のつもりなんだ?

 少年は静かに彼に歩み寄って来ると、何事かつぶやきながら彼の傷口に手を当てた。
 その手が仄かに光り、痛みが引いていく。
 ああ、そうだ。アルバレンは魔法戦士だと聞いている。
 どうやら助けてもらったらしい。殺人鬼だと聞いていたが、大サービスじゃねーか、とそこまで考えて、ラルフはハタと気付いた。
「おまえ、何でここまで走らせるんだ! 死ぬとこだったじゃねーか! ……って」
 やや離れた位置で、油断なくラルフを見ながら、少年が呪文を唱える。彼自身の分だった。
「おまえ、何やってんだ……? 先に自分の怪我治してから、他人構え!」
 少年は口の端だけでわずかに笑い、治癒を終えてから言葉少なに説明した。
「聖域を張られて、魔法が使えなかった」
「聖域……?」
 用は済んだとばかり、構わず少年は行こうとした。行かせてたまるか。追おうとした身が傾ぐ。
「……く……」
 少年が静かに振り返り、感情のない声で言った。
「手当てが遅れた。毒、残ってるから……それ以上は抜けない」
「!」
 だから急いだのか。
 いや、つーか、それで放り出して行くか。ありがとうもごめんなさいもなしか。
「待て!」
 ラルフの声に従ったわけではあるまいが、少年はふらっと、倒れ込むように脇の木の幹に手を突いた。それはそうだろう。いくら魔法で傷を塞いでも、もう随分出血した後だ。
 駆け寄ろうとしたラルフに、
「寄るな!」
 鋭く言い放ち、少年は全身で拒絶した。殺気すらある。
 苦しげなのに、隙が見つからない。
 間もなく、少年は呼吸を整え、行ってしまった。
「……ちきしょー」
 ラルフはガンと、少年が寄りかかっていた木の幹を叩いた。
「子供は子供らしく、大人に保護されてりゃいーんだ!」
 あんな……。
 これからも、あんな目をして生きていくのか。
「顔中に、もう死にたいって書きやがって……!」


 ラルフが『アルバレン』に再会するのは四年後。
 少年が青年になり、『アルバレン』の名を捨てた後のことだ。
 驚くべきことに、少年は己が全ての罪を受け止めて、なお生きることに成功するのだ。
 それは多分、運命。
 同時に、彼自身が開く未来。

 そう、それは――

● 終わり ●

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