聖魔伝説5≪伝説編≫ 祈り

第十章 ――聖魔の鼓動――

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≪2005.08.19更新≫

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 ドンッ!

 天には雷雲が招来され、光の閉ざされたその森に、鳥の声はもはや、聞こえない。
 雷鳴と爆音。雷光と炎。
 それだけが、天地を支配していた。
 二つの影が交錯し、その都度、光が弾けた。
 降るように打ち出される炎の矢が。
 断続的な稲妻が。
 互いの命を奪うための光。
 闇を裂く閃光は、ただ、そのためのもので、それゆえの鮮烈な軌跡を、束の間、(くう)に残した。
 攻守は幾度も逆転し、さらに逆転した。
 ヒュンッ
 ディルアードの放ったかまいたちが、マーディラの首筋をかすめ、亜麻色の髪が数本、闇に散った。
「――はっ!」
 もう結構、とばかりマーディラが攻撃の手を止めた。
「たいしたものよ、このあたしと互角にやれるなんて――」
 改めて、ディルアードと向かい合う。
「あんたには、魔界に戻って、魔王になるのが似合いだわ。――なぜ、そうしないのか、わからないわね――」
「魔王?」
 動くことのなかったディルアードの表情が、わずか動き、凍てついた笑みが張り付いた。
「笑わせてくれるな。北の魔王(シェラザード)を殺し、魔界を混沌に落とし込んだ張本人――魔王を襲名するでもなく、放蕩する魔女が」
「へえ」
 よく、知ったものねと、揶揄(やゆ)するようにマーディラが言い、不敵に笑んだ。
北の魔王(シェラザード)東の魔王(オプティスマ)、どちらを()ったのもあたし。――あたしは、北の魔女(ライラック)でいい。何かに縛られるのはごめんだわ。でも、あんたが何を思って人間なんかの上に立つのか、理解しがたいと言っているのよ。獅子の頂点にも立とうという者が、うさぎの群れの上に立つ――滑稽だわ。うさぎは、愛玩するためにいるのよ」
「愛玩……酔狂だな。醜く獰猛(どうもう)なうさぎだ――喰いあって、滅べばいい。その皮をかぶった、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)ども」
「――……」
 マーディラの瞳に、屈折した何かが揺らめいた。
「そう――あんたは、人間が嫌いなのね。……わからないでもないわ、何かを憎む気持ちは。あたしも、知っているもの。――北の魔王には、子が3人いた。ラディア姉さん、あたし、そして――」
 冷たく、マーディラが嗤う。
 その笑みの意味するところに、ディルアードも、気付いたようだった。先を、引き受ける。
「――私か」
 首肯して、マーディラがスっとディルアードに近付いた。優しく、彼を腕に抱く。
「あんたのこと、嫌いじゃないわ」
「気の迷いだ」
 マーディラの全身から、魔界の蒼炎()が、漏れ出していた。
 その炎に包もうとしながら嫌いではないと言われて、他に、どんな答えを探せただろう。
「相討ち覚悟で、ここへ来たような真似だな――」
 高温の炎が回り、苦痛を覚える様子で、ディルアードが彼女の肩をつかんだ。そうしながら、抵抗しなかった。マーディラが微笑む。
「一人じゃ、寂しいでしょ? いいわ――」
「……正気か……」
 蒼炎()が、なめるように両者を包んだ。
「そうね、正気だと思うわ。残された命に、ただひとかけらの価値もありはしないもの。あの日、世界は絶望の中に、滅んだのだから――」
「――……」
 ディルアードがふっと、氷のようだった表情を、解いた。微笑んで、炎ごと、マーディラを抱き寄せた。
「――好きに…しろ……」
 炎を遮断していた彼の魔力の障壁が、解かれた。

 シュンッ

「!?」
 忽然と、腕の中から消えたもの。
 残された、蒼い炎の蛇が彼に絡みつき、火勢を増していた。
「ぐっ……!」
 クスクスと笑いながら、卑劣に、別の場所に身を移したマーディラが告げた。
「本当に、嫌いなんかじゃないわ。そんなもので足りないもの――あたしの――(エルファラン)を殺したあんたが憎くなければ、あんな呪い、かけるものか!!」
「……っ!?」
 マーディラは嫣然と笑うと、冷酷に、言い捨てた。
「一人で死ね」
 蒼炎()が、獲物を焼き尽くさんと、闇に立ち上った。

 ――カッ!

 黒の、閃光。
 ディルアードの放った、そうとしか形容しようのない黒光が、蒼炎()を切り裂いた。
 折りしもの稲妻が、雷雲に閉ざされた闇に、人外のシルエットを浮かび上がらせた。
 巨大な、コウモリのごとき醜悪な羽。螺旋の角。
 瞳を爛々と鮮紫に光らせ、恐るべき災厄の形をしたものが、真っ直ぐに、彼女目掛けて滑空した。
「なっ、その姿、まさか――!?」

 ズッ――

 マーディラは目を見開いて、身を貫いた爪を、凝視した。
 血と死の気配が立ち込める。それは多分、彼女自身の――
「ぐっ……」
 血を吐いた。
「……っ……」
 自分が何を言おうとしたのか、マーディラにはよく、わからなかった。ただ、どうやら殺されるらしい――それだけは、わかる。
 天魔に。
 彼女は、微かに笑った。
 闇と終焉の象徴。
 破壊と絶望の、先駆け。
 聖魔だった、その父親と異なる存在に、ついに、なさしめたのだと。
“ 何も変わらない ”
 聖白の翼をまとい、一時期は魔界を統べた北の魔王(シェラザード)
 形姿(なりすがた)は神か天使のようかでも、魂は、悪鬼だった。
 ――いったい、何やってるの……? あたし……?――
 ちゃんと死に切れるかどうか、心配だ。セルリアードのことが、気にかかる。ディルアードのことも、気にかかる。
 ――仕方ないわね……どいつもこいつも、頼りないん、だから――
 ふいに、ディルアードが苦痛に顔を歪めた。
「……?」
「あ……ぐっ……」
 マーディラを貫いた爪を引き抜き、その両腕で、身を抱えるようにした。
 漆黒の髪が、淡い金色(こんじき)に波打った。
 瞳が、明るい若草色(ピスタシオ)を帯びる――
 マーディラは極限まで目を見開き、失って久しかった恐怖と歓喜に、唇をわななかせた。
「……エル……ファラン……? いるの……? そこにいるの……!? ――エルファランっ!!」

 ファアァ――

 ディルアードを包み込むように、淡く優しい聖光が広がった。およそ、夢としか思えない光景。
 そこに立つのは、もはや、憎悪に心狂わせた魔族ではなく、美しい人の姿をした、哀しげに瞳を陰らせた少女だった。
「エル……」
 半世紀以上流さなかった涙を、マーディラは流した。
 少女の父親を死なせたこと、ディルアードを呪ったことで、少女に拒絶される恐怖に身が震え、それでも、彼女が生きて存在することに、マーディラは生まれて初めて、世界に感謝した。
 少女の存在と引き換えにできるなら、憎まれても、恨まれても、何一つ、惜しくはなかった。
 ひどく不安定な少女の存在を、どうしたらつなぎ止めることができるのか、身を貫かれた痛みも忘れ、マーディラは懸命に、考えを巡らせた。探した。――探したけれど。
「エルファラン!!」
 呼び止める以外、何も、方法を見出せなかった。また、失ってしまう。
 若草色(ピスタシオ)の瞳が、哀しい痛みを、残酷な呪いを諌める色を宿して、マーディラを見た。
 けれど次には、優しい眼差しに変わっていた。
 少女が、ディルアードが腰に下げていた剣を抜き、自害しようとするように、別れを告げる瞳でマーディラを見た。
「や、やめて、やめて!! お願い、やめて!! 許して、いやよっ!! いや、エルファラン――っ!!」
 絶叫した、懸命の願い、届いたのか。
 ただ、間に合わなかったのか。
 聖光が弾け、元のディルアードが――肩で荒い息をして、激しくその身を震わせた天魔が、戻った。
 恐怖ではなく、負担による震えに、違いなかった。奪われかけた身の制御を、力ずくで奪い返したのだ。
 マーディラは泣き濡れた瞳で、ほんの一瞬前までエルファランだった存在(もの)を、今や、影も形も見えない、それでも、別の姿で生きる存在(もの)を見た。
「……ごめん……」
 憎々しげに、ディルアードの瞳がマーディラを射抜く。
「……ごめん……ね……」
 マーディラはよろめきながら懸命に、拒絶するディルアードに近づき、かき抱いた。
「触れるな!」
「動かないで……あんたにかけた呪い、解き…たいのよ……」
 身を襲う重い苦痛に、マーディラは深い息を吐いた。
 命の砂が、滑り落ちる。
 ディルアードにかけた呪いを解けば、おそらく。
 残酷で強力な呪いを、かけた。半世紀も前に。
 今、その反動を受けたら、この命絶える。だとして、何をためらうだろう。エルファランにあんな目をさせた。死の呪い。愛する者の命絶たせる、許されない、絶望の――
 何をしても、今、断つ!

「オンヌ ダル ダルフェリア!」

 柔らかな聖光が、彼女から放たれた。
 聖白の翼が、彼女の背に生まれていた。白く、美しいかざきり羽。最終列、末端の部分だけを、七色に彩られた――
 何か、天魔のものと似た力が、呪いをかき消した。

 バサッ

 生まれたばかりの翼を広げ、マーディラは長いその指で、美しく滑らかな羽に触れた。
「――……」
 聖魔の証たる、翼だった。
 必然の皮肉に、マーディラは唇を噛んだ。
 死さえも覚悟して、世界の存続を願えた、今なのか。今、聖魔として覚醒するのか。
 半世紀前、全てを失う前にこの力を得られていたなら。
 聖魔としての覚醒は、血筋だ。
 ただ、聖魔の力をもってしても、過負荷に身が休息を求め、途切れかける意識の中、彼女はわずかに微笑んだ。
 エルファランだけでも、彼女の住まう世界だけでも、救えようか。
 救えたら、いい――

 ざっ……

 聖魔の胸を、遂に、真正面から天魔の腕が貫いた。
 突き抜けた指に、薔薇色の血と肉片が絡まって、鮮血を滴らせた。
「……や……めて…………」
 マーディラは血濡れた口許に、微笑みを張り付かせたまま、ディルアードを見た。
 彼が彼女の命を絶つなら、今だ。
 聖魔は天魔を凌駕する。聖魔を覚醒させたら、天魔の敗けだ。世界は滅びやすくはできていない。
 けれど。
 それでも、彼に彼女は殺せまい。まず、止めは刺せまいと、マーディラはなお、確信に近い直感を得ていた。
 また万が一、殺せたとしても、もはや遅い。
 ディルアードはいずれ、エルファランに存在を消される。
 残酷な呪いが、それだけが、彼の存在をつなぎ止めてきた。存在を歪ませ、生命の本来の流れを堰き止める形で。
 北の魔王がエルファランに科そうとした運命を、ディルアードが、その読み違いで科されていたのだ。
 天魔は、呪われた前代聖魔の申し子。
 遠くないその『いずれ』が、ディルアードがディルアードである束の間が、人間たちには大問題となろうけれど――

 間もなく、マーディラは転移の術を完成させ、その姿を虚空に消した。


 Y
「――ヴァレイン殿がラルスに?」
「はっ。経緯の方は、つかめないのですが……」
 潜入したスィール王城の一角、漏れ聞いた声に、ラーテムズは足を止めた。
 サリスディーンに先に行くよう静かに合図して、独り、そこに残って耳を澄ませた。
「計略のことは?」
「どこからか聞きつけられたらしく、その気になられているようです」
「……やれやれといったところだな。妃殿下暗殺まではともかく、あの御方に裏工作はできまい。手順が狂わぬよう、細心の注意を払って事に当たれ。ただ殺しても意味はないのだ、くれぐれも、妃殿下をアルンの間諜とみなした、ラルスの仕業に見せかけてだ。間違うなよ」
 ――リシェーヌを、ラルスで暗殺……?
 片手で隠した口許に、わずか表情を見せ、ラーテムズはすぐ、その表情も消した。

 どこか、自嘲的な冷笑を。

     *

 セルリアードが戦局を詰める間に、地道な努力を重ね、サリスディーンとラーテムズはついにスィール王城への潜入を果たしていた。張られた結界を強行に突破したりはしない。結界の構成を解き、ごく小さな綻びを作り、感知されないよう魔術を使う。壁に穴を開け、くぐった後は塞ぐ。簡単そうでいて、手順の全てが困難を極める、不可能なはずの侵入方法だった。緻密で複雑なスィールの結界を解析することも、破壊の痕跡を残さない侵入も、いずれも極めて高度な魔道技術を要する、離れ業だ。
 潜り込んでしまえば、目立つ風貌でも、顔色が変わりやすいわけでもない二人のこと、魔術師が多く、人の入れ替わりも激しいスィール城内に紛れ込むことは、難しくなかった。あらかじめ場所の見当がついていたこともあり、サリスディーンがサリディアを探し当てるまでに、騒ぎが起きた気配はなかった。
「博士、お嬢様の状態は――?」
 追いついたラーテムズに、険しい表情でサリスディーンが振り向いた。
「良くないな、意識が戻らないし、ひどく衰弱している」
 これがと、サリディアの左腕、真珠色の腕輪を示して博士が告げた。
「どうも異質な魔力を帯びているようだ。正体がつかめない上、外すこともできない」
「何でしょうね……」
 材質を確かめるように観察し、外そうと試みて、ラーテムズはぞくりとした。動いたのだ。抵抗して、締まるように。何か、得体の知れない生き物めいて、いい気持ちがしなかった。
「随分小さなものですが、魔族だとか、言わないでしょうね」
 冗談じゃないなと、サリスディーンが眉をひそめた。
「やむを得ない。応急処置は施した、転移で帰国しよう」
「少し待ってもらえますか」
 ラーテムズが軽くサリディアの頬を叩き、呼びかけた。サリディアは目を覚まさない。
「昏睡だろう。無理に起こさなくていい、三人なら私一人でも転移に支障はない」
「ええ」
 承知の上で、腕輪のことを確かめたいラーテムズは、生返事をした。
「――お嬢様、セルリアードが」
「……? ………ん……」
 サリディアが身じろぎした。
 苦しげに身を抱え、意識朦朧といった様子で、それでも、サリディアが初めて目を開けた。
「……ラ…テムズ……さん……? 父さん……?」
 セルリアードを探すように視線をさまよわせるサリディアの様子に、サリスディーンはあまり、いい顔をしなかった。セルリアードがここにいないこと、彼女を見捨てたこと、納得いかないのだとわかる表情だった。
 ラーテムズはあえて、的外れなことを言った。
「自業自得ですよ、博士。年甲斐もなく、すねないでください」
「――誰が!」
「億劫がって面倒を見なかった私達より、そばにいて、ひとりにしなかったセルリアードをお嬢様が慕う。こればっかりは仕方ありません。お嬢様が構って欲しがれば、セルリアードは都合があっても折れて構うんですから、敵いませんよ」
 ラーテムズの目には、昔から、セルリアードは十分サリディアに甘かった。
 今回にしても、彼は既に一命を賭してサリディア救出に赴いている。それを知っていながら納得できない親心が、ラーテムズには不思議だった。セルリアードが少々報われない気がしたので、助け舟を出してみた次第だが、博士が納得したかはわからない。
「お嬢様、すぐに転移で帰国します。その前に、この腕輪について、何か知っていたら聞かせて下さい」
 わずかに頷いたサリディアが、魔力を封じられていることや、外せないこと、居場所をつかまれてしまうことなど、やっかいな事実を答えた。
 ――それは。
 連れ戻したとしても、またすぐ、天魔の襲撃を受けるということなのか。
「――博士、アレイルに連れ戻すのは――」
 さしものラーテムズも、深刻な表情で口を噤んだ。
 サリスディーンの方は淡々と、転移の呪文の詠唱に入った。それでも、彼女をここに置いておくわけには行かない。今すぐ温かくして休ませなければ、彼女の命に関わるのだから。それからのことは、その後考えるしか、ない。
転移(テレポート)!」
 三人を包み込むように立ち上った翠の魔力光に、異質な真珠色の光が、絡み付いた。
「!?」
 先の腕輪が放った、波状の光。
 ぞっとしたのも束の間、今さら、術の発動を止めることはできない。サリスディーンは術のための精神集中を乱すことなく維持した。景色が散り散りになり、視界が急転し、やがて見慣れたものとして、戻り始める。
 そして。
 平和な鳥の声が聞こえ始めた時には、サリディアがいない、その認めがたい現実だけが、彼らを待ち受けていた。サリスディーンの、娘をしっかりと抱えたはずの腕には、何もなかった。
「博士――」
「……くそっ!」
 サリディアの魔力を封じる腕輪が、外部からの干渉さえ、拒んだのだ。
 サリスディーンはじっと、光を失った瞳で虚空を睨んだ。


 Z
 深夜。床に就きはしたものの、セルリアードは眠れていなかった。明日も早い上、疲れている。本来なら余程のことがあっても眠るのだが――
 眠れない。
 ――セルリアード――
 思念波のような声が、届いた。
 闇に、鳥のような影が見えた。血染めの翼……?
 ――しくじっちゃったわ、あたしとしたことが――
 セルリアードは軽く目を見張り、すぐ、その影の主が、見知った魔族だと気付いた。
「マーディラ……? その姿は――」
 血塗れてなお美しい、聖白の翼。
 伝説に謳われる聖魔のものかと、まさかと、セルリアードは絶句した。
 ――ふふ。何に見える? 血に目覚めたシェラは、人間には聖魔や天魔と呼ばれるわ――
「あなたが聖魔?」
 ――そう――
「生きているのか……?」
 セルリアードの目には、マーディラは致命傷を受けているように見えた。
 翼より、胸部の裂傷が深い。
 ――なんとかね。人間ほど脆くはないのよ、あたしもディルアードも――
 利き手で覆った指の隙間から、不敵な笑みでマーディラがのぞいた。
 ――平気よ。死にはしないし、立て直して、聖魔として闘えば、負けようがないわ。ただ、あいつ……天魔になってたなんて、知らなかったのよね……おかげで見ての通りのザマよ。さすがに、動けるようになるまでに、数日はかかるわ――
 いつになく真剣な濃紫の瞳が、セルリアードを見た。
 ――その数日を待てるなら、ディルアードの始末は任せてくれて構わない。でも、ディルアードもそれは承知の上。目の前で聖魔が覚醒した以上、あたしが動けるようになる前に、動くでしょうね――
 天魔の願いのために。
 そうつぶやいたマーディラが、それが何かわかるかしらと、揶揄するような、後ろめたい何かを秘めたような艶やかさで、薄く笑んだ。
 セルリアードはただ、想像できないと首をふった。
 ――天魔の願いは世界の滅び。それを願ったシェラが天魔として覚醒するよう、創世に約束されたというわ。過去、そこまで世界に絶望したシェラはいなくて、あれが、創世以来初めての天魔らしいけど。世界には、最初から滅びの運命までが用意されているのよ。もっとも、今すぐに滅ぼすことはないわね――
「滅びの運命――」
 ――生きとし生けるものが老い、絶えていくように、世界もいつか老い、天魔が生まれ、聖魔が生まれなくなる。そうして滅ぶの。今、天魔が生まれたということは、世界が熟しはじめたということ、熟れた果実はいつか落ちるわ。もっとも、聖魔が生まれるうちは、希望が残されているワケ。少なくとも、あたしの目が黒いうちは、天魔の願いは叶わないわね。あたし容赦ないもの――
 マーディラがすっと、手を差し伸べた。寝台に立て掛けられた秘剣(ティストラーゼ)が呼ばれたように宙を渡り、その手に収まった。

 ――四元の魔道師が祭具 蒼炎の剣(ティストラーゼ) 我 汝を永の眠りから今 解き放たん!――

 聖魔の祝福を受け、目映い聖光が、クリスタルのようなその刀身に(はし)った。
 生命を得たもののように、秘剣(ティストラーゼ)の美しい刀身が、闇にあえかな光を放つ。
 ――どういう経緯であんたが持っているのか知らないけど、この蒼炎の剣(ティストラーゼ)は本来、炎の魔道師が持つべき祭具よ。共鳴し、祭具としての力をいくばくかでも引き出せれば、天魔とでも立ち会えるわ。でも、蒼炎の剣(ティストラーゼ)はおよそ、あんたの力になるよう創られてはいない。あくまで四元の魔道師を護るためのものよ。持てば、祭具は使い手の魔力を根こそぎ食い尽くし、最後には命さえ、呑み込む代物。四元の魔道師が持つ、底なしの魔力をもってしてはじめて、本領を発揮するの。いいわね、食い尽くされる前にカタをつけるのよ――
 神妙に頷き、セルリアードは静かに、秘剣(ティストラーゼ)を取った。
「……四元の魔道師に返せとは、言わないのか?」
 マーディラがフフと笑み、妖艶な流し目をくれた。
 ――そうね、時が来たら返してもらうわ。でも、天魔に使われたくないなら、今はあんたが死守なさい。天魔の声には、四元の魔道師を従わせる力があるの。四元の魔道師の魂に、天啓として響くそうよ。逆らえないこともないようだけど、正直不安だわ。あたしの読みじゃ、炎の魔道師(ファスティーヌ)はまともに天魔の声に影響されて、星をも砕くわよ。あたしが戻るまで、渡さないでちょうだい――
「……わかった」
 話の通りなら、蒼炎の剣(ティストラーゼ)は渡せない。セルリアードも、マーディラと同じ読みだった。
「他の魔道師は?」
 ――確かめていないわ。でも、あんたの妹が水じゃないかしら――
 そうかとだけ答え、セルリアードは沈み込むように黙った。
 ――ふふ、気に入らない顔ね――
 聖魔も天魔もろくなものではないと、マーディラ自身思う。妹がどちらに導かれるのも、セルリアードにしてみれば、気に入らないだろう。
「……他の祭具は?」
 マーディラがふいに、冷たい笑みをこぼした。
 ――笑うところよね、残りの祭具、破壊されて現存しないときたわ――
「は……?」
 セルリアードには、笑えなかった。二の句が継げない。
 ――流水の杖(ヴィーラ)風韻の珠(ヴァスティオン)地祇の環(アストヴェスト)。祭具の力はいずれ劣らず優れていたわ。けれど、これらは四元の魔道師にしか扱えないもの。人間にとっちゃ面白くなかったのね。四元の魔道師が存在しない『狭間の七百年』の間に祭具は破壊され、剣に打ち直されてしまったの。蒼炎の剣(ティストラーゼ)だけは、もとより剣の形をしていたから、破壊を免れたわ。愚かにも、至宝の祭具を、呪いを打ち払う剣だの、見切りの剣だのに打ち直して、人間は喜んだわ。そして今、破壊された祭具は無惨に力を落とし、祭具たりえない――
 セルリアードは何か、黒い予感を覚えた。
「……祭具なしで、伝説の成就に支障はないのか?」
 ばさりと、マーディラが翼を広げた。
 ――ないわ。伝説は成就する。四元の魔道師の命と引き換えに――


 元の闇が戻った部屋の片隅で、まんじりともせず、セルリアードは動かなかった。

* 第11章 舞い降りた少女 に続く

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あとがき

“ 四元の魔道師は天啓に抗わない ”

 救われる世界。
 命を落とす四元の魔道師。
 マーディラさん、容赦なく救世を命じる宣言です。
 四元の魔道師を護るために存在した祭具。
 剣に打ち直した人々は、臆面もなく、この方が人類の役に立つのだと、主張するのでしょうか。
 祭具は『人類』ではなく『四元の魔道師』のために創世神が下賜したものです。
 役目だけでなく、ちゃんと、そのための護りも創世神は用意しました。
 聖魔伝説が成就した場合、四元の魔道師は救世主として、愛されて生涯を過ごす――
 それが、創世に用意されていたシナリオです。
 しかし、人間の欲が、つらいシナリオに書き換えてしまった。
 命、失うからこそ、世界を救うのか滅ぼすのか。
 壊れ行く世界を存続させるか終わりにするか、それを選ぶのがこの審判で、天魔は決して悪ではないです。天魔は終わりを選んだ者。聖魔は存続を選んだ者。
 この選択に善悪はなく、世界の終わりが『世界に住まう者がそれを望んだ時』とされているに過ぎません。終わりって悪ではないですもんね。壊れたものを一度終わりにして、再生させる。次にはもう少し、住人が幸せな世界になるように。
 でも、『壊れた』ってどういう状態なのか。創世神は、一羽でも聖魔が覚醒すれば、一人でも『終わりにしたくない』と強く願う者がいるなら、そちらを優先することにしました。
 対等に見えて、聖魔と天魔は決して対等ではなく、四元の魔道師への影響力も、聖魔が上で、まともに対峙すれば、天魔は決して聖魔に敵いません。ディルアードさんは極めて不憫です。生命は理不尽です。

 いよいよ『聖魔伝説』最終巻、文庫にすれば第六巻、のろのろ連載で恐縮な限りなのですが、ここまで来たら最後まで、見守って頂けると嬉しいです(*^^*)
 最終巻も、引き続きがんばります☆彡

沙澄汎奈

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