聖魔伝説4≪伝説編≫ 祈り

第三章 ――スィールへ――

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≪2002.01.24更新≫

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 翌朝。夜明け前から、ファスを取り戻すべくスィールへ向かう準備は始まっていた。彼らは夜明けと共に出発する。
 風はほとんどなかった。おそらく、今日も快晴だろう。それでもこの季節の早朝、外気は身を切るほどに冷たく、冴え渡る。

「アルも一緒に行くって!?」
「てめえ、俺の言葉を疑うのかよ!」
 ぴんと張り詰めたような朝特有の静寂を破って、部屋に乱入してきたのは言わずと知れたディテイルとアーリングインだ。
 静かにさせるべく、サリディアがあわてて仲裁に入る。
 子供がまだ寝ているのだ。
「あ……」
「へへーん、困らせてやんの」
 明らかに共犯のはずのアーリングインが、しかしなぜかディテイルを茶化した。
「うるさいっ。それよりどういうことだよ、セルリアード! 俺にはここに残れって言っといてっ」
 セルリアードが何か確認していたらしい書類から目を上げ、ディテイルを見る。彼はいきり立つディテイルに、ごく冷静に言った。
「おまえまでついてきたら、リシェーヌが一人になる。心配だろう」
 ディテイルはぐっと詰まった。残れと言われた時にも、これで黙らされたのだ。
「どうしてもと言うなら、コルベールに頼むが――急に頼んだりしたら、彼だって困るだろうし。我慢してくれ。アーリングインはもともと数に入っていないし、スィールは彼の祖国だからな」
 帰すだけだから、と言う。
「だそうだ。半人前でも数に入れて良かったな、ディテイル」
 突如、何の前触れもなく背後からかけられた声に、ディテイルの驚くまいことか。
「ら……ラーテムズさん!?」
「やあ、おはよう」
 趣味の良い麻の普段着に身を包み、いつも通りの笑顔を見せて。
「まあ、私もここを頼まれはしたけどね。万が一何かあった時、戦闘になったら私に彼女や子供達は守れないよ。私はそれを回避すべく、冴えた頭を働かせる質なんだ」
「……そういうことを堂々と言わないで下さいよ。ったく、情けないんだから……」
 彼の非難がましい口調を気にした風もなく、ラーテムズはひょうひょうとして言った。
「できないことはできない。見栄からの無理はしないに限る。物事、自分に合った仕方で対処するのが一番なんだよ。私は頭脳派の天才だからね。武にまで秀でようとは思わない。おまえも、覚えておいた方がいいんじゃないか?」
 ディテイルはふてくされてそっぽを向いた。独断で無茶をして、アーリングインに殺されかけたばかりだ。
「それはそうと、今朝は随分早いんですね。朝には弱いと思ってましたけど」
 ディテイルの指摘に、ラーテムズはちっちっちっと指をふった。
「こう見えても私は情に厚くてね。今生の別れになるかもしれないんだ、ちゃんと、顔を見ておきたいだろう?」
「そんな大げさな……」
 ディテイルが呆れた口調で言うのを相変わらずの笑顔でかわし、その後、彼はふいに目だけでセルリアードに問いかけた。
 ――危険過ぎるから、ディテイルは外したんだろう?――
 セルリアードが苦笑する。その通りですよ、と。
「わかってるだろうが、リシェーヌを泣かすなよ、セルリアード」
「ええ。大丈夫です。あなたと違って、腕には自信がありますから。それに――強力な猫妖精イリーフィズがついているんです。無事に戻ってきますよ」
 猫妖精――それは猫の姿で人を護り、幸をもたらすという空想上の妖精だ。そして言いながら、セルリアードはちらとサリディアを盗み見た。彼女のせっかくの『聞いていないふり』は、表情のせいで台無しだった。その嬉しそうな顔で、どう聞いていなかったと主張するつもりか。
「言ってくれるな。寂しくなるだろう。独り者を少しは気遣え」
 たまらずセルリアードが吹き出すと、つられてラーテムズも笑った。これだから、ここが好きなのだ。


「姉ちゃん!」
 軽い足音が近付き、ティラが扉を開けた。
「あ、おはよう。早起きしてくれたんだね、ティラ……ん?」
 扉の陰から、ちょこちょこっと小さな女の子が二人、駆け寄ってくる。年の頃なら3つか4つ。一生懸命走ると、転びそうで目が離せない。
「ポリア、エルシア……どうしたの? うるさくして起こしちゃったかな、ごめんね」
 ポリアとエルシアは、ふるふるとかぶりをふった。
「違うよ、ポリア、あみおくりすゆの!」
「エルシアもー! お姉ちゃん、おえかけすうんでしょ?」
「あ……」
 サリディアはじっと二人を見た。この二人もティラと同じく、引き取り先の都合がつくまで一時預かりしている子たちだ。ところが、こちらはセルリアードにもよくなついていて、しょっちゅう「親の仇になつくなよっ」と言われてはティラとけんかしている。
 どうしよう。
 嬉しい。
「ありがとう。すぐに帰ってくるから、いい子にしててね」
「うん! ポリアいい子ーっ」
「エルシアもっ」
 二人がきゃっきゃと喜んで跳ね回る。サリディアは可愛いなあと思いながら、その様子をにこにこ見ていた。
「じゃあ、お兄ちゃんにもいってらっしゃいって言ってくゆね」
「エルシアも言ゆ!」
 二人はとととっと、今度はセルリアードの方に駆けていった。


 ティラがやっとセルリアードに近付けたのは、ポリアとエルシアが、挨拶して気が済むなり眠くなったものか、くうくうとその場で寝始めた時だった。二人は徒党を組んで「お兄ちゃんのこといじめゆ気らー」と邪魔してくれたのだ。
「おい、セルリアード」
 言って、ティラは彼の服のすそをはっしとつかんだ。
「挨拶したくて早起きしたんじゃないぞ。誤解するなよ。一つ、言いたいことがあっただけなんだから……」
 セルリアードは浮かびそうになる笑みを、どうにか抑えた。ここで笑ってしまうと、ティラの自尊心が傷つく。
「どうした?」
「子供扱いすんなよ! 俺はもう七つだっ……とにかく。サリサのこと、命にかえても守れよ? おまえなんかについてきてくれる物好き、サリサくらいなんだから」
 セルリアードはやや目を伏せた。
「ああ、もちろん守る。命にかえても」
「誓う?」
「誓う」
「何にかけて?」
「何にかければいい?」
 問い返されて、ティラはしばし腕を組んで考えていた。それから、納得したように一人で頷く。
「星にかけて」
 セルリアードは微笑み、それからかなり真剣な眼差しで宣誓した。
「あまねく天の星と、そして我が故郷の星にかけて誓う。サリディアを、全身全霊をかけて護ることを」
 ティラはただ呆然と、セルリアードを見つめていた。
「これでいいか?」
「あ……うん。――しょーがないから、俺、サリサのこと諦めてやるよ」
「……?」
 ティラはふいっと彼に背を向けながら、少し悔しかった。かっこいいと、思ってしまったのだ。


 U
 臨時に護衛の一員として馬と制服を与えられたアーリングインだったが、彼は制服の方は断った。さすがに黒装束は身につけさせてもらえなかったが、今は着慣れた自国の服に身を包んでいる。これもセルリアードの口添えがなければ、まずできなかったことだ。
「ん……?」
 ふと、何か気配がした気がして、アーリングインは後方を見た。ちょっと首を傾げ、しばらくしてからもう一度、ふり返る。


「それにしても――」
「何?」
 馬車には、セルリアードとサリディアだけが乗っていた。ケルトは一つ前のそれに、近衛隊長のカスタムと共に乗っている。
 最終的にはケルト、セルリアード、サリディア、アーリングインの4人だけで乗り込むつもりだが、国境までは護送団が送るし、近衛隊だけはスィール王城の入り口まで、一緒に来ることになっていた。
「久しぶりだな。おまえと二人で、こんなにゆっくりできるのは」
 セルリアードの言葉と口調に、サリディアは嬉しそうに頷いた。それまで窓の外を――完全な冬が訪れる前の、最後の紅葉が見える――眺めていた視線を、彼に向ける。
「……そうだね。何か、変だよね? 結婚したのに、お互い忙しくなって、かえってあんまり一緒にいられないんだもんね」
「サリディア……」
「寂しい?」
 セリフを横取られて、ちょっとセルリアードは黙っていた。じっと、サリディアを見る。
「寂しい?」
 もう一度、彼女が聞いた。彼は降参したように苦笑した。
「ああ、寂しいよ。宰相なんて、軽はずみに請け負うんじゃなかったな」
 サリディアはくすくすと笑いながら、セルリアードの胸に顔を埋めた。その背を、セルリアードがそっと抱き締める。
「ごめんね……。私、寂しくない」
 折角の雰囲気なのに、あまりにも薄情なサリディアの言葉だった。
「全然寂しくないのか?」
「うん、全然。だって、ないのは『二人』の時間だけだもん。『二人』ではあんまりいられないけど、あなたは毎日ちゃんと帰って来てくれる――すっごく幸せなんだよ。あなたを待つのも」
「待つのも?」
「うん。楽しい」
 言って、サリディアはまたくすくすと笑った。
 からかってるな――?
 どうしてくれようか、とセルリアードが考え始めた時だ。
「でも、ちょっとだけ寂しいこともあったよ……。あなたが忙しすぎて、一週間ほとんど口もきけなかった時」
「ああ……。――あれで、少ししか寂しくなかったのか?」
「うん」
 あっさり肯定されて、セルリアードとしては情けないよりも気が抜けた。
「あの時はね、寝顔は見れたから。忙しいのは私も同じだったし」
 そう、あの頃――サリディアは自分の方こそ十分忙しかった。なのに、うっかり彼が疲れを見せたせいで、さらに無理を重ねて――
「寝顔を見て満足してたのか? 悪趣味な――寝顔だけじゃ満足できないよう、教育が必要だな」
「え……?」
 セルリアードはくいっとサリディアのあごを引き、その顔を彼の方へと向けさせた。目を伏せ、身を乗り出す。長い銀髪が幾筋かこぼれて、サラ、とサリディアの頬にかかった。ここまでくるとさすがに彼女の方も観念して、目を閉じる。
「おい、セ……」
 いきなり扉が開き、一瞬空気が凍った。
「……お邪魔しましたっ!!」
 アーリングインはばたん、と勢いよく扉を閉め、びっくりしすぎてあやうく落ちそうになった馬の背に、とにかくしがみついた。
 何だ、何だ、俺なにするつもりで……。
 はた、と気付く。
「じゃねーよ! 何やってんだよ、おまえらっ」
 再び扉を開けると、憮然とした顔でセルリアードがこちらを見ていた。実に気まずい。サリディアが笑っているのがせめてもの救いだ。
「何か用か」
「いや……何か、尾行してるやつがいるみたいだったから……」
 驚くほどあっさり、セルリアードの目から不機嫌そうな光が消えた。
「何人だ?」
「一人。何か素人みたいだし、俺一人で見て来たいんだけど」
 ことがことだけに三人とも真剣なのだが、緊迫感はほとんどなかった。三人が三人とも、この手のことには異常に慣れているのだ。
「わかった。ただし、昨日のディテイルの二の舞にならないよう、気をつけろ」
「おう」
 馬車の扉を閉め、アーリングインはほうっと息をついた。


「外したな」
「そうだね」
 邪気のないサリディアの笑顔を見ていられず、セルリアードは物憂い気分で視線を窓の外へと向けた。何やら無性に、自分自身に腹が立つ。
 ――子供でもあるまいし、こんなことくらいで拗ねてる場合か……? みっともない。
 そう、思いはするのだが。
「セルリアード……」
 どこか困ったようなサリディアの声に、セルリアードはなんとなく答えなかった。
 仕方なく、サリディアが身を乗り出す。
「額で我慢してね?」
「我慢しない」
 言うと、セルリアードはきゅっとサリディアを捕まえた。その頬に手をかける。


 ――やっぱりいるな……それも、どう見ても素人だぜ?
 アーリングインはちょっと街道脇に逸れて、背後から相手に近付こうとしていた。しかし、不謹慎にも全く関係ないことを考えている。つまり――
 ちくしょーっ。あっちもこっちも春だぜ……。
 王子様は、とらわれの恋人を助けに、わざわざスィールにまで出向くという。宰相にいたっては、まあ幸せなことで。
 無性に悔しかった。ほんの一年前まで、彼こそが両手に花だったのに……。人をひがむ立場になろうとは、想像だにしていなかった。
 そもそも顔も容量も頭もいい彼にとって、女性を落とすことはさほど苦ではなかった。むしろ『取り巻き』と呼べるものさえあったくらいだ。
 けれど、そういった女性たちは彼が地位を失った途端、離れていった。
 それは当然といえば当然だったと思うし、さほど気にしていない。
 ただ、一人だけ――
 たった一人、心を許した女性にまで、同じ態度を取られたことが信じがたかった。納得いかなかった。
 何だか余計なことまで思い出してしまって、アーリングインはだんだんイライラしてきた。
 ただ、必要としてほしかっただけなのだ。何もかも失って、絶望の淵に立たされた彼を、それでも必要としてほしかった。それだけなのに――。
「……ふうん?」
 女みたいな格好しやがって――
 そう思った後、ふとアーリングインはその見解を改めた。
 女か!?
 しばしどうするか迷って、結局武器を用意するのはやめた。どう考えても素手で十分だ。
「おい」
「ぴゃっ!?」
 音も立てず馬に乗り移り、肩に手をかけてやると。相手は妙な声を出して馬から落ちそうになった。
「ばかっ。何やって……」
 捕まえたはいいものの、ぎょっとした顔でふり向いた相手は、まだどう見ても少女だった。しかも、大きく息を吸い込んで――
 ――叫ぶ気か!?
 叫ばれても何の支障もないはずだったが、彼はとっさに少女の口を覆った。んー、んー、と手の中で少女が暴れる。
「いてっ」
 噛み付かれ、思わず手が離れた。
「危ね……!」
 そのまま落馬する少女を受け止め――損ね、彼は彼女を庇いながら、馬から転がり落ちた。
「お、お兄……」
 だっと駆け出そうとした彼女の手を、アーリングインがぎりぎりの所でつかむ。
「待ちやがれっ」
「は、放しなさいよ! 怪しいやつ! 無礼者! ついでに痴漢すけべ変態!!」
「なっ……てめえ、怒るぞ! あやしーのはてめーだろーが!! 俺はてめーが追いかけてたやつらの護衛の一人なんだよ、観念しなっ!」
「嘘よっ」
 いきなり自信満々で否定され、アーリングインはちょっと驚いた。
「残念だったわね、私、誰が同行してるかくらい知ってるのよ……。だいたいあなたが着てるの、護衛の制服じゃないじゃない。放してよっ」
「ほー、誰が同行してるか知ってる、ねえ。てめー、何者?」
 その時だった。背後で、がさがさと茂みが鳴った。
「おうおう、ガキ二人が何いーことしてんだ?」
「見ろよ、こいつら、二人とも上玉だぜ」
 少女の緊張が頂点に達する。しかし、アーリングインの方は余裕の表情だった。正確には面倒くさげだ。
「何? てめーら死にたい?」
 上等な一行だから、何かチャンスがないかとついてきたらしい。ならず者が数人。
 この一行、『アルバレン』が指揮するものだと知ったら、どんな顔をするだろう。一人外れてきたから、いいカモだと思ったのだろうが――
「んだぁ?」
 無論、勝負はあっさりついた。
 ならず者たちの代わりに、少女がひどく驚いて、声を上擦らせて言った。
「な……何なの? あなた」
「だから、あいつらの護衛だってば」
 しかし、少女はそれだけは何故か信用しない。
「見え透いた嘘つくのやめてよ。それより、私に雇われない? お金ならあるわよ」
「お金はって……いい加減にしろ!! 何なんだ、おまえはっ」
 怒鳴りつけると、さすがに怯んだ様子で少女が黙った。ちょっと可哀相だったかな、と思う。馬から落ちたり暴れたりしている間に、まとめていた髪がほどけてかなりうっとうしい様子だった。なかなかのプラチナ・ブロンドなのだが。顔もそれなりに可愛い、と言うより、黙っていれば相当なものな気がする。
「あー!!」
 突然、少女が大声で叫んだ。
「今度は何だよ!?」
「行っちゃったじゃない! どうしてくれんのよ! 私、帰り道覚えてないのに……」
「帰り道?」
 少女はじとっとアーリングインを見た。
「だから結局何者なんだよ、おまえ」
「……王妹……」
「……は?」
「だから、この国の王様の妹よ。アルン・トルディナース・セラン・ル・フォニー。フォニーでいいわ」
「……冗談だろ?」
「冗談じゃないわよ。まあ、これで信じろって方が無理かもしれないけど……でも、あなたの嘘よりはましよ」
「俺のは嘘じゃねーよ!」
 いい加減カチンときて、語気も荒くなる。初めからという説もあるが……。
「おまえ、この国の王様知ってんのか? 俺の一番苦手なひたすらお坊ちゃんタイプだぜ? あーゆータイプって挑発に乗らないからやりづらくて……いや、そんなことはいい。とにかくだ。何であいつの妹がおまえみたいなじゃじゃ馬……」
 しゅっと平手がとんだ。しかし、アーリングインは難なくかわす。
「失礼ね! あなたこそ、その言葉遣い改めなさいよ。後で後悔したって知らないから」
 後でするから後悔って言うんじゃねーか……いや、そんなこともいい。
 それより、彼はどういうわけか彼女の話は本当なんじゃないかと思い始めていた。違ったら違ったでその時だ。
「わかった。信じてやるよ。俺はアーリングイン・ラド・ゼムスティウス。アルでいい」

     *

 散々苦労してなんとかフォニーに自分の言い分を信用させたアルだったが、その頃までには、逆に彼の方が丸め込まれてしまっていた。つまり、何が何でもついて行く、という彼女の護衛を引き受けてしまったのだ。
「だけど、あの二人仲いーよな」
 一行とちょっと距離を空けて進みながら、アルはフォニーから目が離せない。実に手綱さばきが危なっかしいのだ。自覚はないのだろうが……。絶対、言えば「どこが危なっかしいのよ! 私が一度でも馬から落ちた?」と言うに決まっている。
 こーゆータイプは一度、軽く落ちた方がかえっていいのだ。絶対。
「あの二人って、セルリアードさんとサリサのことよね? やっぱりそう思う?」
「そりゃ、ね。姉の幸せは俺の幸せだからいーけど」
 は? とフォニーが首を傾げる。アルは笑ってごまかした。
「でもあの二人、仲が悪いで有名なのよ。正確には、セルリアードさんが一方的に悪役なんだけど」
「嘘っ!?」
 アルが驚いたのでフォニーは得意気だ。
「自分の方が優れてて、しかも身分が高いもんだから、ちっとも奥さん大事にしないって。貴族の妻を取らなかったのも、自分にひざまずく妻じゃないと嫌だったからだとか。あと、サリサって身分こそないけど、賢者の名をほしいままにするメルセフォリア家の後継者じゃない? だから、結局は先見の明を持った宰相ならではの政略結婚だって言う人もいるわ」
「……何で、そうなるんだよ」
 フォニーは実に面白そうな笑顔を見せて、解説した。
「だって、あの人は本当に好きな人とは結婚できないはずなんだもん。今、この国で一番危険なのって、あの人の隣なんだから。本当に愛してる人はこっそりどこかに隠してるの。証拠だってあるのよ。サリサ、半月前過労で倒れたの。あの抜け目のない人が、本当に大事にしてたらそんなになるまで奥さんほっとく? わけないじゃん? ひどいよねー」
「ちょ……ちょっと待てよ。何だよそれ!? 本当なのか!?」
 彼があわてるのを、フォニーはひどく面白そうに観察していた。
「なんて感じに、本人がさりげなく誘導してるわけ。少しでもサリサが狙われないようにって。でも、頭いーよねー。すっごくやり方もうまいのよ。私だって真相知らなかったら、きっと騙されてるってくらい」
「じゃ、たいしたことねーな」
 その言い草に、彼を殴ろうとしたフォニーはぐらっとバランスを崩した。が、何とか持ち直す。
「ばか、何でおまえは先に手が出るんだ! 危ねーだろっ!? 寿命が縮んだぞ!」
 フォニーの意外そうな顔に気付いて、アルは一言付け足した。
「十秒な」
 いい加減怒る気も失せたか、フォニーは何も言わずに話を戻した。
「でも、ファスは自分なら絶対あんな人はごめんだって言ってた。いつでも好きって言ってくれる、ずっと一緒にいてくれる人じゃなきゃ嫌だって。もちろん優しくってあったかくって、頼りがいのある人ね。でも、どーなのかなあ? そーゆーのって、うっとーしくなったりしないかな? まあ、ファスの言いたいことはわかるんだけどね。結局お兄様がいいのよ。そりゃあそうだと思うわ。あと、セルリアードさんってあれで結構口うるさいから、敬遠したい気持ちもわかるの。やれ身も守れないのに一人で城外脱出するなとか、ファスには公の場でお兄様に痴話げんかふっかけるなとか。まるで風紀委員みたいなんだから。アルもそう思うでしょ?」
 ……いや、あんまり……。
 口うるさいと言うより、それは最低限ではなかろうか。
 国王陛下、可愛いからって許してんのか……? それとも押しに弱いのか……?
 彼自身が丸め込まれていながら、アルはそんなことを考えていた。
「……何か、俺もー聞きたくねー」
「そう? じゃ、折角だから今度はファスのこと話してあげるね。これから助けに行くんだもん、予備知識は必要だと思うわ。やっぱり」
 延々と続くフォニーのおしゃべりに付き合わされながら、アルは今さら、護衛を引き受けたことを後悔し始めていた。


 V
「これ……」
 スィール領に入って。
 ――静か過ぎる……。
 アルは視線だけで辺りをチェックした。固く閉ざされた門戸。人通りも話し声もない。
「どうしたの? 何か……」
 尋ねかけたフォニーが、ふと進行方向を見て絶句した。
「どうした?」
 ふり返り、アルもその場に凍った。そこには、静かに――馬上から厳しい目で彼らを見据える、セルリアードの姿があった。
「――どういうことだ? アーリングイン」
 アルが言葉に詰まる。その横から、フォニーがおそるおそる声を出した。
「あ……あの……」
「陛下の許しは得ておられるのですか? フォニー殿下」
 フォニーは力なく首をふった。そんなものが得られるくらいなら、苦労しない。
「おいでなさい」
「え、ちょっと……」
「おいでなさい」
 有無を言わせぬ強い口調でセルリアードが繰り返した。

     *

「フォニー!? 何でおまえが……」
「申し訳ありません、陛下。私の落ち度です」
 セルリアードの口調は相当苦いものだった。アルはひどく、自分がしでかしたことに罪悪感を覚え始めていた。
「セルリアード、おまえが謝ることない。俺とこいつが勝手に……」
 アルの言葉を遮り、セルリアードはきっぱりと言った。
「おまえの同行を許したのは私だ」
 また、なのか――?
 アルはぐっとこぶしを握り締めた。どうして、自分の軽挙のつけが他人に回るのだ。いつもいつも――。
「陛下、この上は一旦国境まで戻り、護送団に殿下を送らせ、帰国させたいと存じます」
 護送団は国境に待たせてある。いざという時には魔術で脱出するため、大人数では不都合なのだ。今ならまだスィール領に入ったばかりで、戻ってもさほど支障はない。
「いやよ! 私も行きます! ファスは、私の大切な……」
「フォニー!」
 さすがに今度ばかりは、ケルトも笑って許しはしなかった。セルリアードの申し出に、異論はない。
「アーリングイン、この国は、普段からこれほど静かなのか?」
 ふいの問いかけだったが、アルは納得した。それを聞こうと彼を探しに来て、フォニーを見つけたのだ。
「いつもは……こんなじゃない。ものすごく異常だよ。俺もそれは気になってた」
 セルリアードは頷き、フォニーに向き直った。
「お聞きになられた通りです、殿下。今、この国は普通でなく、まして招待は罠――殿下お一人のために、何もかもが台無しになったかもしれないというご自覚は、持たれておいでですか?」
「な、何よ……」
「お帰りになって頂きます」
 いくつものファスの姿が、笑顔が、フォニーの心を占めていた。大切な彼女がわけのわからない異国に囚われているのに、ただ黙って見ていろと?
「い、いやよ……私は帰らないわ! この私に、何様のつもりで命令するの!? 宰相の分際で――」
「フォニー!?」
 ケルトは驚きの眼差しでフォニーを見た。聞き間違えたのか、すごい言葉を聞いた気がする。
「私はファスを助けます! サリサが倒れるまで気付いてもあげないで……それどころか、それをすら利用した貴方なんかに、人間の血なんて流れてないのよ!」
 ぱしんっ
 一瞬、場が静まり返った。あまりのことに、フォニーはしばらく声も出せなかった。押さえた頬が熱い。
「……兄さ……ま?」
「謝りなさい!」
 ケルトが彼女に手を上げたのは、間違いなくこれが初めてだった。
「な……んで……」
「わからないのか!?」
 じわっと、フォニーの瞳に涙が滲んだ。
 な、泣くもんか――!
「だって、理解できないもん! サリサもこの人もわかんないわ! いくら弱みを見せないためだって……彼女を守るためだって、平然と大切な人を大切じゃないなんて、そんなことが言えるものなの!? そんな人が信用できるの!? それだけじゃないわ。ただ、実力が足りないからって……どうして何の悪意もない人たちまで、中央から遠ざけるのよ! 才能だけが全てだなんて、私は絶対に認めない!」
 ――そうか……。
 このセリフで、ケルトは何がフォニーにこれほどの事を言わせたのかに、思い至った。同時に少し後悔する。
「ごめん。僕も驚いたからね。セルリアードを怖がってる人はたくさんいるけど……フォニーもその一人だとは思ってなかった。そうとわかっていれば、叩いたりしなかったんだけど……ごめん。だけど、やっぱりフォニーも言い過ぎたな」
 フォニーがさっと頬を紅潮させる。
「わ、私怖がってなんか――」
「怖いんだろ? そうでもなければ、フォニーにあんな、人を傷つけることは言えないよ。知ってたのに、うっかりしてた……フォニー、サリサが倒れたのはね、僕のせいなんだ」
「兄様の!?」
 フォニーが大きく目を見開く。直後、サリディアがそれを否定しようと口を開きかけたが、ケルトが制した。
「若すぎるんだ、王として。まだ未熟な僕の治世を安定させるために、セルリアードは国を徹底的にまとめなければいけなかった。大変なことだよ。まだ兄上に王位を継がせるべきだって声もあったし、摂政を置こうとする動きもあった。先代から国政の実権は貴族に移りつつあったし……。
 彼自身についても、いくら公にしてはいないと言っても『アルバレン』の名と、先々代国王を殺した魔族の子孫だって事実は、皆の知るところになってる。そんな人間を宰相にしてはおけないって、正面切っての糾弾から、その背後に回り込んでの暗殺まで、気の抜けない状態になってる。
 ――それにね。王宮は特殊な空間なんだ。大切なのは、何を成そうとしたかじゃない。何を成したかなんだ。綺麗事も甘えも通用しない。国を、守るべき民を守れないなら、その人は権力を握ってはいけない」
「……」
 ケルトの言葉を、フォニー以上に真剣に聞いている者がいるとしたら、アルだった。ずっと、疑問だったことの答え――そう思えて……。
「セルリアードの受け売りだけどね。だけど、実際、彼は上手くやり過ぎたよ。僕も、サリサのことを聞くまでまるで気付かなかったんだ。サリサが疲れてるのにも気が付けないほど、彼に負担がかかってたなんて」
「……」
「大丈夫、彼も同じ人間だよ。ちょっと人より器用で強がりだけどね。彼だって完璧じゃない。彼の周りで起こること全てが彼の意思だなんて、見てる側の思い込みなんだ」
「……思い込み?」
 ケルトが笑って頷く。
「彼にだってちゃんと過失もあれば、力が足りないこともある。そうとわかって見ていれば、彼の本質が見えるよ。彼はただ、全ての大事な人を失いたくない、幸せにしたいと願ってる。すごく普通だろ? サリサと僕にはわかってるし、嬉しく思ってる」
「もういい」
 珍しく、セルリアードが人の話を遮った。さらにその顔を見て、ケルトは結構驚いた。
 初めて見た。セルリアードが恥ずかしそうに口許を覆っているのを。
 その時、突然ばさばさと鳥の羽音が聞こえて、一羽の鳩が舞い降りてきた。セルリアードの肩に。
「セルリアード、それは……?」
「伝書鳩です。護送団に預けておいた」
 彼は素早く鳩の足に括り付けられた小さな紙片を外し、目を通した。その顔から幾分血の気が引いた。
「……殿下には……御同行願います」
「何だって!? 何言って……」
「国境にスィール軍が現れ、交戦中――おそらく全滅すると」
「ぜ、全滅……!?」
 ケルトのこめかみが、わずかにひくひくと痙攣した。全員の顔が青い。
「陛下……お覚悟を。我々が向かう王城、間違いなく罠です。それでも、ファスティーヌ様は救出せねばなりません。おそらくこの戦――ファスティーヌ様が切り札になります」
 ケルトの目が、わずかに怒気をはらんだ。
「何だって?」
 しかし、セルリアードは取り合わない。ケルトは彼女を巻き込みたくないようだが、彼女の力がそれを許さない。彼女の意思とは関係なく、彼女はいやおうなしに巻き込まれていくだろう。
 そして、セルリアードは二つの報告を後にした。一つは、護送団が圧倒的な数の差を見て降伏したけれど、受け入れられなかったこと。もう一つは、敵軍を指揮するのが半年前の小競り合いの折には姿を見せなかった、スィールの元帥エヴァン・フィズ・レンティスであること。潔癖かつ温厚な人柄で、内外から信頼されている。当然、その人望は厚い。
 ディルアードが現れる以前に受けた報告によれば、サーヴァントの優勢はほとんど元帥に依存していたらしい。忠誠心厚く聡く、敵に回すにはセルリアード様の次に恐ろしい、そう、冗談めかして当時の報告は締め括られていた。
 しかし……。
 それを思うと、信じがたい。内乱直後の無謀な侵略戦争を、それも主を惨殺した新帝のもとで、彼が指揮しているなどとは……。
「お待ち下さい」
 近衛隊長のカスタムだった。
「セルリアード様、まだ敵城に向かうとおっしゃられるのですか!? 今はどう考えても、国に戻ってスィール迎撃の準備を整えるのが先のはず。戦時に国王が不在では……」
 ケルトの顔が、ますます複雑に曇った。今は、ファスは諦めるしかないか――とでも考えているのだろう。しかし、セルリアードにファス奪回を譲る気はなかった。知る者こそ少ないが、魔道の破壊力において、彼女の右に出る者はいない。宮廷魔道師たるサリディアやセッグを最強と思う者が多いが、彼女らはむしろ守りに長ける。破壊力において、ファスは別格なのだ。それも当然、彼女は伝説の『炎の魔道師』なのだから。それは間違いないと思っている。万が一にも彼女が殺されれば、世界が滅ぶ。
「カスタム殿、お考えは理解しますが、我々はこの機を逃さずファスティーヌ様を奪回するべきです。スィールの新帝にも、一度は見えておきたいですし。また、スィール迎撃については、準備は万端です。デリーバル将軍が引き受けたのですから」
「待て。それじゃあ、こうなると予測してたのか?」
 ケルトが言った。セルリアードが静かに頷く。
「可能性は。さすがに、護送団が襲われるとまでは考え至りませんでしたが……。将軍には私からよく頼んであります。なかなか本気に取って頂けず、苦労しましたが、最後には納得して下さいました」
 ケルトは舌を巻いた。確かに、会議で彼はその可能性を持ち出し、それを理由に将軍を国に留まらせたのだが。その場しのぎではなかったわけだ。しかも、しっかり手を回していたとは。
 視界の隅に、アルン王宮への連絡文を鳩に預けているサリディアの姿が映った。こちらもひどく手際が良い。ついさっきまで、フォニーに何事か指示していたと思ったのに。
「陛下、参りましょう」
 セルリアードの言葉に、ケルトは一つ深呼吸して頷いた。


 W
「姫君……御気分は?」
 ざわっと背筋に悪寒が走る。ふり返らずとも、誰が入ってきたかは察しがついた。
「ふ、こちらをふり向きもしないか」
 ディルアードは静かに扉を閉めると、ゆっくりと彼女に近付いてきた。その硬くした細い肩に手をかける。
「や……さ、触らないで!」
 ディルアードはファスの言葉などお構いなしに、その両肩をつかんで彼女を自分の方に向き直らせた。
「一つ、頼まれてほしくてうかがったのだが」
「ケ……ケルトを、裏切るようなことはしないわ……」
「それでは困るな」
 彼は冷酷に笑うと、あまりにも無造作に、彼女のそれへと唇を寄せた。
「――!」
 唇を押し退けて侵入したその舌先が、絡む。
 ――いや!
 どす黒い炎に焼かれるような感覚だった。逃れたいのに、全身が痺れて言うことを聞かない。
 抗うこともできず、ただガクガクと身を震わせる彼女を、ディルアードは優しく抱いて囁いた。
「さあ、もう否とは言うまい? まだ言うことが聞けないなら、次は犯す――少しは素直にもなろう?」
「――!!」
 冷たい指先が首筋に触れる。ファスはぎゅっと目を閉じた。
 痺れは頭の芯にまで及び、ほとんど何も考えられない。
 彼女は喘ぐように言葉を漏らした。
「な……にを、しろと――?」
「何も――。抗わなければそれで良い」
 ディルアードの真意がわからず、ファスは無意識に目を上げ、彼と視線を合わせてしまった。
 ――え!?
 紫の闇――そうとしか形容しようのない、その瞳。先ほどまで、確かに黒かったはずのその瞳が、今は慈悲のかけらもない、突き刺すような鮮紫に輝いている。
 ――危険!!
 直感が強くそれを告げていた。けれど、もう手遅れなのだ――紫光に深く貫かれ、彼女の衰弱し、動揺した精神など簡単に支配されてしまった。
 ――殺せ――
 ディルアードの禍々しい思念が、呪いの言葉とともに彼女の中に刻まれる。
 ――その瞳に映った人間全て、皆殺しに――
 そのまま、彼女の意識は闇に落ちた。

「……み、姫君――」
 呼ばれて、意識が戻るなり彼女は飛び起きた。必死の思いでディルアードの腕の中から抜け出す。
「いかがした?」
「い……いかがって……」
 心臓が今にも飛び跳ねそうに打っていた。なぜ、抱かれて――? 最前までの記憶がない。いや――微かに覚えていた。
 痛む頭で必死に記憶を掘り起こす。
「そう――抗わなければいいって、どういうことなの!?」
 ディルアードは冷たく嗤った。
「間もなく助けが来よう――。ここまでたどり着ければ、さぞ面白いことになろうな」
「な……に……?」
 ディルアードはくるりと踵を返すと、何も答えないまま出て行った。後には取り残されたように、ファスが茫然と座り込んでいるだけだった。呪いの記憶はなくしたままに――


 呪術は実にうまくかかった。日が沈むまでの短時間の強制だが、それで十分――。これが最も危険な罠になるのだ。彼女のもとまでたどり着けるかも怪しいが、たとえたどり着けたとしても。奪回者たちを待つのは、呪われた定め――それのみだ。


 X
「あれ、セルリアードは?」
 日が中天に差しかかろうとしていた。一行は、とうとうスィール王城に到着した。
「避難経路が本当に使えるかどうか確認して来るって。もうすぐ帰って来ると思うけど」
 サリディアが、ケルトに答えながら城下の方に視線を向ける。
「あ、ほら、帰ってきた」
 セルリアードは帰るなり近衛隊士たちに何事か指示していたが、すぐに済ませてこちらにやってきた。
「ケルト、覚悟はいいか?」
「ああ」
 セルリアードが手早く城の見取り図を広げ、うちの一部屋を指し示す。
「話した通り、人質はおそらくこことの調べがついている。信用できるかどうかは、斥候の腕次第だが。新皇帝に、素直に人質を返す気がない時には、救出を強行する。行動は必ず私かサリディアと。危険すぎる時には離脱だ。いいな」
「わかった」
 特に、命をかけるような無理はしないようにと念を押し、セルリアードはケルトの前を辞した。サリディアを誘って、乗ってきた馬の方へと向かう。


「これ……」
 サリディアの肩にセルリアードがかけたのは、白地に紺の縁取りと縫い取りの施された、ドレスにも似た上掛けだった。
「思ったよりも寒いだろう? 私やケルトはもともと、礼装が厚着なくらいだから気にならないが……来る途中、見つけたんだ。――気に入った?」
 サリディアは最初、驚いて。次には心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
「うん! ありがとう」
 彼女はそっと、ぬくもりを確かめるかのように、その柔らかな服地に頬擦りした。
 ビロードのような肌触りで、厚みの割には嘘のように暖かい。とはいえ、彼に贈ってもらえることが何より嬉しいのだ。
 一方、セルリアードの方も大いに満足していた。この彼女の笑顔を見るため、やっていることなのだから。
 サリディアは早速そでを通すと、はにかんだ笑みを浮かべて彼を見た。頬にほのかに赤みが差しているのは、もちろん寒さのためではなくて。
「……似合う? ……あの、か、可愛いかな」
 セルリアードは思わず吹き出した。
「似合うし可愛いよ。服もおまえも私が選んだんだから、当たり前だろう?」
 サリディアはたまらず頬を染め、嬉しくて仕方なさげに微笑んだ。
 目を細めてそんな彼女を見ながら、セルリアードが言った。
「そろそろ行くか」
「あ、はい。……? そういえば、偵察に行って来たんじゃなかったんだね」
「それはね、ついで」
 偵察のついでなのか、偵察がついでなのかあやしい口調で言う。


 しかし、そんな和やかさも、はね橋が――そびえ立つスィール王城へのはね橋が、軋んだ音を立てて下ろされるまでのことだった。

* 第四章 宣戦布告 に続く

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