聖魔伝説3≪王宮編≫ アルンに咲く花

第11章 ――断罪――

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≪2001.09.08更新≫

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 T
「アルン国王よ、我こそはスィール帝国の統治者、スィール・チェル・テリアス・ジェイ・ファングT世である。主も武人ならば、正々堂々と一騎討ちに応じよ」
 追い詰められ、ついに、ファングT世は最後の手段に出た。莫大な費用をかけ、粛清を繰り返し、勝利を前提として始めた戦争だ。負けましたでは済まされない。
 宣言して佇むファングT世を横目に見ながら、セッグは呆れてエメリーダに言った。
「また、敵の皇帝も愚かなことを口走られるものですな。一騎討ちなどというものは、対等な二者の間でこそ成立するもの。ここまで劣勢に追い込まれておきながら、よくもぬけぬけと」
 しかし、エメリーダは一抹の不安を覚えていた。ここで一騎討ちに応じなければ、無駄と知りつつ敵は最後の悪あがきをするだろう。それとわかっていながらケルトが断るだろうか。


 そして、エメリーダの不安は的中した。周囲の反対を押し切って、ケルトはその場に臨んでしまったのである。
 
 
 ケルトが姿を現すと、両軍が大きくどよめいた。
「どういうことだ、王はどうした! このわしに、貴様ごとき若造と一騎討ちをせよとは無礼千万!」
 ファングT世の罵声にも、ケルトは気後れすることなく言った。
「父王は昨日崩御されました。ご存知かと思っていましたが」
「確かに、その事は知っておる。だが、わしはスィールの皇帝ぞ。それ相応の、王位の代行者を所望する」
 勝手極まる申し出だったが、ケルトは特に気を悪くはしなかった。これで少しでも犠牲が抑えられるなら、それにこしたことはない。
「若輩ながら、私がその王位の代行者です。皇太子たる兄上は、ご病気で伏せっておりますゆえ」
 ファングT世は少々驚いて、次には腹が立ったようだった。こんな若造に、してやられていたのかと。
「貴様、名は何と言う」
 ケルトは真っ向からファングT世を見据え、通りの良い声で名乗った。
「アルン・トルディナース・セラン・デ・ティティケルト。――いざ!」
 スラリと抜き放った長剣が、午後の日差しを受けて虹色の輝きを放つ。名剣は久方ぶりにそれにふさわしい舞台を得て、歓喜しているのかもしれなかった。名剣アストヴェスト――アルン王家には、代々5本の名剣が伝えられている。四天王と呼ばれるラドヴェスタ・ヴィスモーダ・ヴァスティオン、そして、アストヴェスト。ラドヴェスタは将軍が、他3本は王家の男子が持つ。そして本来、王が帯刀するのが秘刀ティストラーゼなのだ。しかし、美しく最強のほまれ高いその名刀は、かのラディア王妃に持ち去られて久しい。
 ざっ
 ケルトは一気にリーズ・セフォラを駆けさせ、間合いを詰めた。一方、ファングT世はその場にとどまり、ケルトを迎え討つべく剣を上段に構えた。
 カッ
 魔力を帯びた名剣同士のぶつかり合いに、青い火花が散った。力においては、明らかにファングT世が優勢だった。ケルトは危うく弾かれそうになりながらもなんとか持ちこたえ、その場はそのまま駆け抜けた。
「どうした! もうかかってこんのか!」
 それは明らかに挑発だった。けれど、それに乗るほどケルトは血の気の多い質ではない。
 シュッ
 隙を見たケルトの一撃を、ファング一世はからくも避けた。とはいえ、それはファングT世を驚かせるに十分足るものだった。いや、むしろ実力を知らせるための打ち込みだったかもしれない。
「やるな、若造」
 ファングT世は改めて剣を構え直した。
「負けるつもりはありませんから」
 ケルトが生真面目に答える。そしてそこから、ファングT世の攻勢が始まった。
 キン、キン、キン
 立て続けにかなりの速さで打ち込まれるファングT世の剣を、ケルトは全て的確に受け止めていた。しかし、力で押し負けるため、なかなか反撃の糸口を見出せない。
「ええい、往生際の悪い!」
 とりあえず優勢ではあったが、ファングT世はいい気分では到底なかった。こんなはずではないのだ。どれも、それなりに自信を持った一撃なのに、最も模範的な形で受け止めてくるとは……。
 それもそのはずだった。試合こそすれ、ファングT世に実戦経験はほとんどない。
 つまり、その剣技自体が実戦慣れしない、型にはまったものなのだ。この手の闘い方はケルトにしても王子として叩き込まれているから、打ち込みも斬撃も、フェイントすら、考える前に体が動く。そう、ちょうどセルリアードと闘った、あの御前試合の時と同じだ。あの時、セルリアードはわざわざケルトに合わせてくれていたわけだが、今は違う。ファングT世にはこういう闘い方しかできないのだ。そのため、劣勢ではあってもケルトはまだいくらかは余裕を残していた。

     *

「あーっ、もう!! お兄様のあんぽんたん!」
 この場にフォニーがいることにファスが気付いたのは、すぐ側でその声が聞こえた時だった。
「フォニー!?」
「あー!」
 しかし、フォニーの方はファスに全然気付かない。と言うよりそこにいることは知っているが、気付かれたことに気付いていない。そういう状況だった。彼女は巫女でもないくせに、どこからくすねてきたのかそれらしい衣装に身を包み、真っ青な顔でケルトとファングT世の闘いを目で追っている。ファスにしてもそれは同じだったのだが……。ファングT世が剣を動かす度、寿命が縮む思いだ。
 ――だいたい、フォニーの言う通りなのよ。
 ファスは今すぐ行って彼に怒鳴りつけてやりたいくらいだった。わざわざ馬鹿正直に実力を披露してやることなどなかったのに。まだ相手が甘く見ているうちに、さっさと決めてしまっていれば……。ケルトに性格上それができないことはわかっていても、歯がゆくて仕方なかった。
 そして、その思いはセッグやエメリーダやカスタムや――彼を慕う多くの臣たちにしても同じだった。


 カーン
 乾いた金属音を立てて、ケルトの剣が真上に弾かれた。
 決まった――ファングT世がそう思った瞬間だ。その一瞬の隙が命取りになる。
 ケルトは即座に馬の背に足をかけて跳び、空中で剣をとらえた。そしてそのまま落下の勢いを乗せて剣を真っ直ぐふり下ろす。あとは敵の首をはねるだけ、そう思っていたファングT世は、とっさにそれを避けられなかった……。


 U
『ケルトの〔お兄様の〕ばかぁ!!』
 スィール軍が総崩れとなって撤退していく最中に、ケルトを迎えた第一声がこれだった。見事なまでに重なった二つの声は、言わずと知れたファスとフォニーのものだ。あれほどわいていた周囲も、一瞬あ然として静まり返った。
「なっ……何でフォニーがここにいるんだ!?」
 驚くやら呆れるやらで、それ以上何も言えずに口だけぱくぱくさせているケルトを睨み付け、ファスとフォニーは彼に反撃の暇さえ見つけられないほどのスピードと迫力で文句を言った。
「どうしてくれるのよっ! 今ので十年は寿命が縮んだんだからっ」
「そーよ! 勝つならもっと穏便に勝ってよ! 殺されるかと思ったじゃない!」
「だいたいあれでよけられたらどうするつもりだったの!? ばかっ」
 ケルトはたじたじとなりながらも、何とか言い返した。
「よけられないっていう自信はあったんだよ! それにあのままじゃ、僕が負けるだろ」
 これは本当だった。この一年と半年で、ケルトは実戦経験を積んでいる。それに伴い、それなりの勝負カンも身につきつつある。
「何が自信あったよ! 私、すっごく怖かったんだか……ら……」
 突然ファスの瞳に涙が溢れ、ぽろぽろと転がり落ちた。ケルトは驚いて、どうしていいのかわからなくて、おろおろと救いを求めるように精霊司を見た。
「殿下、セザイール様がそこでお待ちになっておられるのですが」
 その言葉に、ケルトはまた驚いてふり向いた。そこには、確かにセザイールがいた。
 彼はしばらくケルトを見ていたが、ふいに苦笑した。
「ティティケルト――私に代わって王位を継ぐか?」
「え!?」
 ケルトは驚きのあまり耳を疑った。
「異論のある者はおるまいよ。それこそ今回の戦で、私が何をした? 守るべきものすら守れない私では――王にはなれないな」
「兄上、それは……」
 よもや彼の口からこんな言葉が出ようとは、ケルトは想像だにしていなかった。その上、王位を継ぐ気もなかった彼だ。途惑ったとして、誰に責められようか。
「何だ、おまえが文句をつけるのか?」
「え……あの……」
 セザイールはふと思案顔でケルトを見、何か企んだ様子で、一瞬にやりと笑った。それから、おもむろに臣下たちの方に向き直る。
「皆、落ち着いて聞いてほしい。知っての通り、私は体が弱い。皆も、私よりはティティケルトの即位を望んでいることと思う。ならば、王位はティティケルトに継がせよう。異論なき者は、この場で賛同の意を示せ」
 ぐいっと、セザイールは腕を引いてケルトを前に出した。わからせてやるのだ、何が望まれているのか。誰が期待されているのか。
 一方、ケルトにとってはあまりに急なことだった。突然、何の前触れもなしに皆の前に立たされて――
 けれど、ケルトは臆することなく前を見た。
 セザイールが彼に見せようとするもの。見ろと言うなら、見据えよう。
 本当に、臣民が彼を王に望んでいるかはわからない。けれど、ケルトはそれを知ることを恐れなかったのだ。
「新王万歳!!」
 誰かが叫んだ。途端、それに呼応するかのように次々と声が上がった。
「ティティケルト陛下、万歳!!」
「アルン王国万歳!!」
 もはや、人々の期待はかわしようがないほど膨らんでいた。ケルトは半ばそれに圧倒されていたが、しかし、それ以上に胸に込み上げてくる熱い何かがあった。
「皆……」
 ここには、自分の場所が――ここは自分のあるべき場所なのだ。初めて、ケルトはそう実感していた。過去と現在と未来とを。もう、逃げるまい。
 ケルトはおもむろに一歩前に出て胸を張ると、その右手を高く差し上げた。
「今、ここに新王として宣言する。我々が国を守り得たこと。そして、新しい時代が始まったことを!」
 再び歓声が上がった。こうして、人々の歓声と歓迎を受け、アルンに若く有能な王が誕生したのだ。新たなる治世の始まりを告げて――


 V
 ――が、……ば……かったんだ――
 目の前に、どこかで見たような顔がある気がしていた。初めなんだかはっきりしなかったそれは、不意にはっきりと形を取った。
「トラバスさん!?」
 サリディアが叫んだ途端、それはぐにょんと歪み、消えた。
 ぽぽぽぽぽんっ
 突然かわいく何かが弾ける音がして、辺りに色とりどりの直系二十センチほどの球が現れては消え、消えてはまた現れた。
『わあ、すごい! 綺麗!』
 サリディアは大喜びで虹のゲートに向かって駆けた。体がやけに軽い。それもそのはず、夢の中では彼女はまだ8つか9つ……
『おとぎの国へようこそ、お姫様! 僕達はあなたのお誕生日を祝うため、魔法の国からはるばる遊びに来たのです』
 そう言って手を差し伸べるのは、幼いながらに良く整った顔立ちの少年。銀の髪と蒼い瞳が、一種夢のような雰囲気に良く合っている。
『サリサ、冠作ったの。9歳のお誕生日、おめでとう』
 黒髪の、やはり8つか9つくらいの少女が、可愛い花冠をサリディアの頭に乗せた。
『ありがとう、とっても綺麗だね!』
 サリディアは花が綻ぶように笑った。
『サリサ、おいで。今日は森に連れて行ってあげる』
『うん』
 サリディアが誘われるままに彼の手を取ると、少年の方もにっこり笑った。
『楽しみだね、セーちゃん。リシェーヌも手、つなごう?』
 そう言ってサリディアが差し出した手に、嬉しそうにリシェーヌがつかまる。そこは、幸せな夢の国。子供たちの楽園なのだから――


『サリサ、サリサ』
 ふいに、また場面が飛んでいた。白い研究室で、祖父の声が聞こえる。
『サリサ、そら、お飲み』
 そう言って、祖父は愛しげに彼女の頭をなでた。
『おじいちゃん……』
 手が震えているな、と思った瞬間、彼女は目を覚ました。


「あ……」
「サリサ! 良かった、やっと気が付いて」
 ディテイルの声だった。ここは――
「気が付いたのか?」
 部屋の戸口の方から声がして、サリスディーン博士が入室してきた。
「父さん……私……?」
「覚えているか? 戦場で、魔力を使いすぎて失神したらしい」
 言われて思い出す。そうだ。魔力増幅装置を使って巨大な聖域を張ったんだった。
「ったく、2日どころじゃないじゃないですか」
「思いのほか、体力を消耗してたんだ。仕方ないだろう」
「そうそう、ただめし食らいが文句を言わない」
 と、これはラーテムズ。
「……セルリアードは?」
 聞きながら、サリディアはついさっきまで見ていた夢のことを考えていた。ただの夢だったのだろうか? そんなはずはないのに、やけに鮮明で。それにこの既視感。
「そのことなんだが……。済まないが、二人は席を外してくれるか」
「どうしてで……わっ」
 思い切り引っ張られて、ディテイルは危うく椅子からずり落ちるところだった。
「な、何すんですか! ラーテムズさん」
「ただめし食らいはお仕事の時間です」
 博士はそんな二人を苦笑して見送った。
「父さん、セルリアードのことで話って?」
 サリディアの問いに、博士はとりあえずそれまでディテイルの座っていた椅子に腰を落ち着けてから、逆に尋ねた。
「おまえ……セルリアードのことを、どう思ってる?」
 それはかなり唐突な問いだった。サリディアは答えかけ、しかし、答えをためらうかのように手で口許を押さえた。
「好きなのか?」
 沈黙の後、サリディアはこくんと頷いた。
 彼女の答えを見ると、博士は肘かけの上で手を組み直しつつ、淡々と告げた。
「セルリアードから伝言を預かってる。おまえが危険を承知で、それでも自分を必要としてくれるのなら――力になってほしいと」
 サリディアの目が大きく見開かれる。嬉しいのか、不安なのかはわからなかった。
「今回は守ってやれない、それでもいいと言うなら。あれはそう言った」
「どこに……どこに行ったの!? セルリアードは……」
「行くのか?」
 当たり前だ。サリディアはむしろ、どうしてそんなことを聞くのかと、博士に目で問いかけた。彼が力になってほしいと言う以上、何か、彼女にもできることがあるのだ。それなら行くに決まっている。放っておいたら、どこかに消えてしまいそうな彼なのに。
「サリディア……。おまえに救えるのか? あれが」
 博士の言葉に、サリディアは強張った顔で言葉に詰まった。
「同情ならやめなさい」
「……違います!」
 澄んだ目で、半ば叫ぶように彼女は言った。その言葉の中の真実に、もちろん博士も気が付いた。しかし、あえて問う。これは彼女にとっても、その全人格をかけた危険な闘いとなるのだから。
「いずれにしろ、あれに生きることを強いる権利はおまえにない。それはわかっているな? 酷なことかもしれんが……セルリアードがもし死を望んでいても、それが必ずしも間違ったこととは言い切れん」
「そんな……」
「事実だ」
 サリディアはきりっと唇を噛み締めた。口の中に血の味が広がったが、痛みは感じなかった。
「でも、でもそんなの……そんなのいやです!」
「サリディア……」
 彼女はつとその潤んだ目を上げた。そんなこと、認めたいわけがなかった。たとえ博士の言い分こそ正しくとも、せめて信じることくらい許されなくては、救われないではないか――
「だって、じゃあ誰が彼を……誰なら彼を救えるの!? 救えっこないから、身の程知らずだから、何かしたいと思うのもいけないなんて、変……! できなそうでも、身のほど知らずでも、できるだけのことはしたいんです!」
 どうしてだろう。
 ただ、願うだけなのに。
 彼には――あの誰よりも綺麗な魂の持ち主には、幸せであってほしい。いい夢を見ていてほしい。
 ただ、彼の笑顔が見たくて――
 その願いがどうして罪なんだろう? どうして、こんな悲しいことになってしまったんだろう。
 それでもそこに罪があるなら、たとえ償い切れない罪でも、償うだけだ。
「サリディア……」
 ふいに博士がすっと手を伸ばし、サリディアを抱き締めた。それを境に、張り詰めていた糸が緩むように、彼女の混乱した心も穏やかさを取り戻していった。
 彼女は本当は知っていた。彼女がただ、彼を苦しめているだけかもしれないことを。だけれど、それでもそばにいたい。その思いが止められない。彼にもらったものを、少しでいいから返したい。
「済まなかった……。おまえを追い詰めたかったわけじゃないんだ。ただ、心配で……おまえは変わってしまうかもしれない。あのことを思い出せば……」
「……父さん?」
 博士はじっと、正面からサリディアを見据えると、一言一言彼女の心に刻み込もうとするかのように、言い聞かせた。
「サリディア、何があってもそれに押し潰されたりせずに――おまえを愛し、必要としている者がいることを忘れるな」
 かえって途惑いの色を浮かべる彼女に、博士は告げた。
「セルリアードが向かったのは魔道都市・サン・エリスンだ」
「なっ……」
 心臓が止まるかと思った。サリディアは弾かれたように立ち上がったが、言葉が見つからない。サン・エリスン――彼が行くとしたら、一つしか考えられなかった。
 彼女はあわてて身をひるがえした。とにかく行かなくては!
「博士! 何だよこれ!」
 ディテイルがノックもなしに部屋に駆け込んできたのはその時だった。その手に、何やら紙切れを持っている。
「何だ?」
 その紙切れに目を通すなり、博士すら顔色を変えた。電報だった。
「まさか……早すぎる!」
「知ってたんですか!?」
 ディテイルが愕然とした顔で言った。
 ――間違いじゃない――
 どういうわけか、それがひどくショックだったのだ。そして、博士がそれを知っていたということ自体も。
「父さん、今日は何日なの!?」
 同じようにそれに目を通したサリディアが、叫ぶように尋ねた。電報の内容こそ、彼女がたった今知って愕然としていた事実そのものだったのだ。


『発信・国際司法機関【エスティ・グレード】
 受取・メルヴ ディセク、ディテイル殿
  アルバレン 自首セリ
  四月十日午後0時ヨリ 裁判ヲ行ウニヨッテ コラレタシ
                     四月七日午前十時』


 もう、それは数分後に迫っていた……。


 W
「どういうつもりだ」
 自分の素性について全く語ろうとしないセルリアードに、仲介役の男が不審を隠さず問うた。
 白に紺の縁取りの入った魔道師協会の制服をきっちり着込み、腕には仲介役を示す金の腕章。厳しい顔をした壮年の男だった。
 裁判――この世界での裁判は、簡単だ。被害者と加害者、それに必要に応じた関係者が立ち会い、『仲介役』と呼ばれる高位の精霊使いの司会進行のもと、進められる。
 裁判が簡単なのは、ひとえに嘘を破る精霊魔法があるためだろう。こうなると証拠がいらないため、容疑者さえ捕まえてしまえば、話は実に簡単なのだ。
 刑罰の取り決めも簡単で、まずは示談に近い話し合いが行われる。そしてこれがこじれた場合にのみ、復讐法に近い共通法が適用された。
 そう――
 被害者がこぞって許すと言い出さない限り、何人も殺した彼などは、間違いなく死刑だった。いくつかあるにはある、ごく稀な例外に適用されれば話は別だが。
「おまえは、一体何のつもりで自首したのか?」
 弁明するでもなく、許しを乞うわけでもなく、例外の適用を求めるわけでもなく――
 『アルバレン』の態度は、死にに来たとしか思えないものだった。
 そしてだからこそ、仲介役の男は危惧しているのだ。罠ではないのかと。例えば、目障りな被害者たちをここに集めて、まとめて始末してしまおうとか。
 相手は悪名高い『アルバレン』なのだから。
「……過去に決着をつけるために」
 抑揚のない返事だった。長い銀髪がわずかに揺れる。
 仲介役はなおも警戒を解けない様子のまま、裁判を進めた。
 被害者からの「何が目的だったのか」「どうして巻き込んだのか」という問いに、セルリアードは答えなかった。妹のことを知られたくなかったのだ。加えて説明できなかった。
 殺したくもない他人を殺したことのない者に、あの息苦しさ、世界が重く暗く閉ざされ、感情の全てが麻痺していく感覚は、わかるまい。
 ただ、追手の全てを返り討ちにしたこと、それをするに当たって第三者を避けずに闘ったという事実だけ、認めた。
 仲介役がふと、ペンを走らせる手を止めて尋ねた。
「正当防衛だったと言いたいのか?」
 途端、被害者たちから怒りの声が上がった。第三者をためらいもせずに巻き込む正当防衛などあるものかと。追われていたこと自体、自業自得ではないのかと。
 そう、まるで正当防衛などではない。
 セルリアードは淡々と答えた。
「いえ……逃げようとする相手も殺しました。過剰防衛にすらならないでしょう」
 もはや、彼は半ば諦めてしまっていた。サリディアのように強くはなれないな、と思う。自分が疫病神でしかないなら、彼女が他の全てを差し置いても彼を必要としてくれるのでないなら、いっそ――どうしても、そう思ってしまう。
 ――どうした、来るわけがないとは、思っていたんだろう?
 あの日から――彼女と別れた日から、幾度となく発した問いを繰り返す。
 彼女が現れるわけなどなかったし、実際、サリディアには会えなかった。そして、迷い方もわからず、ただ突き進んで今日まで罪を重ねてしまった。
「ならば、殺傷及びもろもろの破壊行為については全て罪を認めるのか」
「はい」
 どうして、今さらサリディアに接触などしてしまったのだろう。セルリアードは感情のない声で答えながら、自らの矛盾を暴き立てる。
 そもそもサリディアをさらう必要は全くなかったのだ。直接博士にかけあっても、結果に大差はなかったはずで。
 ――会いたかったのか?
 自問しても、答えは帰らない。サリディアは現れない。
「おまえが起訴されているのは――」
 仲介役が罪状を読み上げるのを、セルリアードは黙って聞いていた。
 殺人が七件、傷害が四十七件、家屋の倒壊を含めた器物破損が四十五件。
 少ないくらいだった。
 非合法に雇われ、彼を襲った者が入っていないからだろう。
 少なくとも過去を清算せぬままリシェーヌのそばにいることはできない。過去を忘れて生きることも。だから、彼はここに来た。
 届かぬ思いは、切り捨てなければならぬはずだった思いは、心のずっと奥底で彼を駆り立て続けた。8年間、過酷な世界を耐えて耐えて耐え抜いて――ずっと一人で生きてきたつもりで、もはや妹を解放するために全てを諦めたつもりで、それでもどこかでまだ救いを求めていて。とうとう、土壇場で自ら彼女の前に姿を現してしまった、あの日。
 会いたかったのだ、彼女に。束の間の夢でも良かった。
 ――セルリアード――
 その名を呼んで、手を差し伸べてくれる存在。それ以上に、ただ手に入れたいと思う存在。今こそ、自分が彼女にどれほど精神的に頼っていたかを思い知らされる。
「認めます」
 彼はそれだけ言った。
「……賠償は?」
 話が賠償のことに移ると、セルリアードは淡々と切り出した。
「アルン、スィール間で小競り合いがあったのはご存知でしょうか」
「小競り合い? ああ……」
「少々戦功を立てましたので、アルン国王に願い出ました。私の仕業と認定されれば国が保護、賠償します」
 部屋がわずかにざわめいた。
 ちゃんと認定してもらえるんだろうか、どの程度賠償してもらえるんだろうか、そんな声が聞こえる一方で、彼への皮肉も飛んでいる。人殺しだけは得意なやつだと。あまりにもその通りなので、腹も立たなかった。
「よくそんな願いが通ったな」
 仲介役の感想に、セルリアードは特には答えなかった。
 ケルトに願い出て、セッグに手配を頼んだことは本当だ。けれど、彼はその際、自首することまでは打ち明けなかった。このことを知ったら、ケルトは怒るだろうか――
 セルリアードは少し笑った。
 余談だが、賠償金の出所は宰相の私財だ。宰相に王にならないかと持ちかけられた時、とりあえず裏を取ってみた。宰相こそが、ケルト暗殺未遂の黒幕だったりしないかと。すると、暗殺未遂は別口だったが、横領の事実があった。ここ十数年で、宰相はとんでもない大金を中央から横領していた。自分の直轄領でも相当ごまかしていたようで、うちの約半分を没収しただけでも、気前良く賠償しておつりが出るほどだった。金以外のことでは案外真面目で有能な宰相だったようだから、あえて追い詰めようとは思わなかった。しかし、人は強欲になれるものだと驚いた。
 この宰相の最終的な処分は、ケルトが決めればいい。
「進めて下さい」
 セルリアードは仲介役の視線に少し不吉さを覚え、促した。素性は聞かれたくない。理由は3つ。彼の所業にアルンは全く関係ないのに、彼が王族であると知られれば、王宮そのものへの不信が生じかねないこと。そして2つ目に、妹の存在をなんとしてでも隠しおおせていたいこと。なぜなら、サリディアがディセクに殺されかけたように、妹も復讐者たちの標的にされかねないからだ。3つ目に、身分ゆえの減刑の可能性。表向きはどうあれ、協会の運営費用はほとんど各国からの寄付でまかなわれている。つまり、加害者と被害者の身分差が、かなり判決に影響してしまうのだ。それでは意味がない。ここに何しに来たのかわからない。
 アルバレンの名を取り繕うためでも、許しを乞うためでもなく。
 彼はここに、受けるべき罰を受けに来たのだ。
 サリディアがどう言ってくれても、目的を遂げた今、被害者たちを――ディテイルのような者を見る度、胸が締め付けられ、自分が許せなくなることは変わらない。自分自身を切り裂きたいような衝動に駆られることは変わらない。
 そして今、彼女がいない。その歯止めが存在しないのだ。
「殺傷の件だが」
 セルリアードは静かに首をふり、弁解できることは何もないと言った。
「彼らの望むように」
 部屋のざわめきが、束の間静まった。
 多くが耳を疑ったのだ。
 仲介役すら、息を呑んで絶句した。彼は何人も殺している。彼のために、体の一部をなくした者もいる。何の弁解も、事情の説明もしないなら、彼はほぼ間違いなく死刑になる。いいのだろうか? それで――
 確かに、危険な魔道師を問答無用で排除できるなら、それに越したことはない。そもそもこれほど早く、被害者への連絡すら行き届かないうちに裁判を開いた理由というのが、彼の危険さだ。彼は強力すぎる魔道師なのだ。彼の気が変わったら、下手に時間を与えたら、何が起こるかわからない。そうなる前に決着を――それが実情だった。けれど、本当にこれでいいのだろうか? これ幸いと、彼を凶悪な魔道師と断じて殺してしまって――
「……おまえのしたことは、自首したくらいで許されることではないんだぞ?」
「わかっています」
 言って、一度目を瞑って気を落ち着けてから、セルリアードは初めてその目を被害者たちに向けた。
 ドクン
 体を、耐えがたい衝動が駆け抜けた。今すぐ彼を殺してやりたい。そんな衝動だ。死にたいのでなく、殺してやりたいのだ。意識が彼らに同調している、というのが正解だろう。
 彼は、もう一度目を閉じた。
 全て自分の意志でしたことだ。わかっていて、多くを傷つけた。少しでも罪を清算したいなら、まず受け止めなければ始まらない。痛いから、つらいから、自分の罪の確認すら、できないでは始まらない。
 ――耐えろ――
 彼は一心に念じて、再度被害者たちを直視した。彼を見据えるいくつもの目があった。冷たい目、困惑の色を浮かべた目、悲しげな目――
 自分の弱さを痛感する。どう頑張っても、それらを長く直視していることはできなかった。どうしても、目を逸らしてしまう。逃げている。
「ウィザードは火あぶりだ」
 痩せ細り、暗く澱んだ目をした男がつぶやいた。それを境に、再びざわめきが広がる。
「あの……」
 一人の女性が声を上げた。人々の視線が集中した途端、彼女は怯む。しかし、それ以前にセルリアードがそれを遮った。初めて、彼が感情的に動いた瞬間でもあった。
「言うな!」
 その肩を、多少怯みながらも仲介役が押さえた。
「発言をどうぞ」
「え……あ……」
 声を上げたのは、町で幼い娘を連れていた女性だった。確か、アリスンと名乗っていたような……。
 さすがに、今は娘を連れてはいない。
「言わないで下さい! お願いです」
「どう……して……?」
 セルリアードはきりっと唇を噛みしめた。うかつだった。あの時、気付いていたはずなのに。彼を恐れるような彼女の様子に、あるいは被害者なのかもしれないと、気付いていたはずなのに。勝手なのは承知の上だ。それでも、妹やサリディアを、愛しい者たちを、業に巻き込むのはいやだった。素性だけは明かされたくない。
「忘れて下さい。私の罪と、あの行動は無関係です」
 だから持ち出すなと、セルリアードは訴えた。
「私の正体は、あなたが知っていた通りの冷酷な……魔物です」
 部屋の中央に置かれた水晶は、偽りを感知し、赤く染まるはずの水晶は、ただ静かな光を湛えて透明だった。あの日、彼は誓ったのだ。魔物にでもなってみせると。
「『あれ』も本来、私の持つべきものではな……い……」
 セルリアードは目を覆った。水晶が、血のような赤い色に染まっている。彼としたことが、嘘をつけないことを忘れていた。
「発言をどうぞ」
 仲介役が促す。こうまで彼が知られまいとすることは何なのか。普通は気になる。部屋は静まりかえっていた。
 アリスンはしばらく当惑していた。なぜ、彼は素性を隠すのか。町を守ったことを隠すのか。その公開は、彼にとって有利なことではないのだろうか?
 どうしたらいいのだろう。
 彼は娘の命の恩人で、けれど愛する人の仇で――
「あなたは、ごく私的な闘争に私たちを巻き込みました」
 結局、アリスンはある意味人々の期待を裏切る言葉を口にした。
 セルリアードはやや目を伏せ、頷いた。
「そしてあのことを、忘れろとおっしゃるんですね?」
「ええ」
 彼女はしばらく沈黙していた。
「……なら、あなたにとって、私たちの命や生活は――ためらわずに犠牲にできるほど、軽いものだった」
「……」
「答えて下さい」
 じっと彼を見据える彼女の瞳。彼はそれを静かに見返していた。
 軽くなど、なかった。
 けれど――
 ためらうには、負ったものが重すぎたのだ。『ためらわずに犠牲にできるほど』という言い方をするなら、答えは一つだった。
「――はい」
 まさか。
 アリスンは呆然と彼を見た。それから透明なままの水晶を。彼女だけではない。幾人もの被害者たちが、彼に歪みのない心を感じた、気高さと知性を感じた被害者たちが、不思議そうにそれを見た。
 そう。
 一部の被害者たちは、彼の本質とも言うべきものに、薄々は気付いていたから。彼が事情を話すなら、それを聞く耳くらいは持っていた。それは彼にもわかっていたし、その心が嬉しくもあった。けれど、当然そうでない者もここにはいるのだ。
 奪われた復讐に、彼から奪いたいと思う者も少なくないはずだから。
 事情は話せない。
「私は……」
 胸に冷たく静かな怒りを覚え、アリスンは言った。
「先ほどの方の意見に賛成です」
 日々を精一杯生きる人々を、その命や生活を、彼は軽いと言った。正しいのが何かは知らない。けれど許せない。
「……」
 彼は沈黙していた。ややうつむき加減の、痛みに満ちた表情で。
 そこに漠然と、アリスンは彼の嘘を感じた。
 本当にそれらが軽いなら、なぜ自首したと?
 なぜ、身を呈してまで町を守ろうと――
 彼女は混乱した。わからない。だって、水晶は透明だったのだ――
「他には」
 仲介役が意見を求めた。
 何も知らない被害者たちは、余計に彼の言葉を疑わなかった。彼に感じた気品も善意も、ただの気のせいだったと割り切った。あるいは、彼は自分たちとは相容れない思考の人間なのだと割り切った。
 こうして、その意見は地面が水を吸うように静かに、けれど着実に、その場に浸透していった。
 

 X
「リシェーヌ? かわいい娘だったぞ。無事に成長していれば、サリサよりも美人になっただろうな」
「サリサよりもっ!?」
 ディテイルが信じられないという顔をする。博士とラーテムズは、適当にディテイルの相手をしつつ、手だけは休めることなく動かしていた。解凍作業を行っているのだ。
 そもそもディテイルがここで何をしているかというと、サリディアがちょっとした理由で壊れてしまった移動装置を調整し終えるまでの間、単に暇を持て余しているのだった。
 博士が真剣な顔で計器類を睨みながら、声だけは意外そうに答える。
「兄のセルリアードがあれだけ整った顔立ちをしてるんだ。妹のそれも想像がつくだろう?」
「そうそう。悪の秘密結社が犯した特に重い罪は二つ。世にも清らか、かつ愛らしかった少女を一人減らしたことと、この私の自由を一時的にでも奪ったことだな」
「堂々と言うな、ラーテムズ。だから護身術の一つも習っておけと言ったんだ」
 その言葉に悪びれるでもなく、ラーテムズはいつものとぼけた笑顔で言った。
「いいじゃないですか、博士。下手に抵抗できると、殺される可能性が上がりますからね。私は何もできない顔して、こっそり変なことをするのが性に合ってるんですよ」
 ディテイルが飲みかけの水を思わず少し吹き出し、むせる。
「そうだろうがな」
 博士はどこ吹く風だ。全く動じていない。
 ちなみに、そうは言ってもラーテムズが全く努力しなかったわけではない。どうせなら練習相手がいる方が、と、サリディアと一緒に護身術に手を出してみたことはあるのだ。けれど、あからさまに差が出てしまった。いくら彼女が運動神経抜群であると言っても、その差は歴然としすぎていたようだ。どうにも身に付かないので、不向きとみなしてやめてしまった。正直、それ以上怪我をしたくもなかったし。
「ラーテムズさん、そういう場合は普通は反省して、次に備えて万全を期すものですよ」
「甘いな。普通は万全を期そうと道具立てだけ揃えたところで飽きるんだ。限りある人生、限りある資源、無駄なことはしないに限る。だいたい、おまえこそ反省してるのか?」
 割と真剣だったディテイルの言葉を、ラーテムズは一蹴した。
「いや、あれは……」
 ディテイルが今さらあの電報を持ち込んだのは、昼前にしばらく空けていた家に戻ってそれを見つけたからだった。ラーテムズに言われたのだ。
『事情が事情だし、ここに居つきたいならそれでもいい。ただし、けじめはきちんとつけろ。ここに居つくならちゃんと手続き済ませて、荷物も取って来るんだな』
 ディテイルにしてみれば、ちょっと信じられない言葉だった。突然天涯孤独の身となって――。一人でも生きてはいけるが、なんだかつまらない。サリディアやセルリアードのことも気になるし、今は一人になりたくなかった。兄のことばかり、考えてしまいそうで……。
 そういうわけで、彼は当座のところはその言葉に甘えることにした。
 ラーテムズに送ってもらって荷物を取りに家に帰り――そこまでは良かった。
 ところが、ディテイルはこちらに戻って来る途中、移動装置が操縦したくてたまらずに、ラーテムズの制止も聞かずに手を出して、壊してしまったのだ。思い切り木にぶつかって、横倒しにころころ転がって――死ぬかと思った。怪我がなかっただけでも幸いという、かなり派手な事故だった。
 さて、ディテイルが装置を押して戻ってみると、間の悪いことにちょうどそれが必要とされていた。魔力をなくしたサリディアが、魔道都市に行くのに必要だったのだ。
 彼女の魔力は消えていた。
 博士の説明によれば、それは魔力増幅装置でめいっぱい拡大して、一度に膨大な量の魔力を使ったために起こる一時的なものだという。散々眠っていたとは言っても、昏睡では魔力は回復しないらしい。
 そんなこんなで絶交すら覚悟していたディテイルだったが、彼女は彼を責めなかった。怒りを抑えているというより、不吉さしか感じていないようだった。何かが間に合わせまい、間に合わせまいとしているような予感だ。それでも彼女は冷静だった。今さら一時間や二時間遅れても、何も変わりはしないから、と言っていた。そのくせ、彼女はすぐに装置の修理にかかった。病み上がりで休んでいたいだろうに、誰にも修理を譲らずに。もともと設計したのは博士でも、組み立てたのはサリディアだったらしいのだ。この場合、修理も断然彼女の方が速くなる。という話だ。
 そんな彼女の姿を見ながら、ディテイルは気付いたことがある。ずっと感じ続けた苛立ちが、どこから来るものだったのか。ついにわかった。彼女を必要としていながら、必要とされてさえいながら、彼女の手を取らない彼がもどかしかった。
「サリサ」
 それゆえか、ディテイルは自然に言った。
「俺も行きたい。いや、行かなきゃならない」
 しばしの沈黙の後、彼女は静かに頷いた。
 それから、彼はそこにいても仕方ないので何かできることを探しに部屋を出て、セルリアードのことを聞くつもりがいつの間にか話が逸れて――今に至る。

     *

「ディテイル、行こう」
 背後からサリディアの声が聞こえるまで、たいした時間はかからなかった。ふり返り、彼女を見るなりディテイルは言葉を失った。
 彼女はいつ着替えたのかこざっぱりした正装、飾り気こそないが、趣味の良い空色の衣装に身を包んでいた。なぜだろう? むしろ簡素な服なのに、かえって彼女が引き立つようだった。王宮にいた時、彼女は主に薄紅色のドレスを与えられていて、それはそれで一般人とは思えないほどさまになっていたのだが――。愛らしくてとても好きだったのに、こちらの姿の方が似合う気がするのだ。彼女らしいと言うか。
 その知性と年に不似合いなほどの落ち着き。それらが見過ごしようなく表に現れている。しかも同時にある種の冷たさと、そして何を話しても理解し、手を差し伸べてくれそうな温かさ。そういった相反するものが同時に感じられるのだ。一種、神秘的ですらあった。
 硝子ガラス――
 その透明感のせいか、ふとディテイルは硝子を思った。
 大事に、どんな傷もつかぬよう、周囲が心を砕いて保護していた真珠のようなアイリーナ姫とも、磨かれるほどにその輝きを増し、やがては陽光をはね返して輝くであろうアメジストの原石のようなファスとも違う。何度も傷ついては、より優れた形態を見出しては、その度にもう一度溶解し、加工し直して、サリディアはここまでなった。傷つく度にその不純物を溶かし出し、彼女はより純粋になっていった。そして、これからもまた変わっていく。たとえ粉々になろうとも、きっと生まれ変わって――。たかが硝子細工、されど硝子細工なのだ。
 ディテイルは今さらそれに気付いた。
 サリディアの持つ魅力が、生来のものではないことに。
 初めから、彼女が持っているのは並外れた美貌でも、無条件に保護してやりたくなる愛くるしさでもなかった。いくつもの葛藤を乗り越えて来た者のみの持てる、未だ完成はみていない深さ。彼女の顔が『綺麗』なのはそれゆえだったのだ。『美しい』というより、『可愛らしい』というより、彼女にはただ、『綺麗』という言葉が似合った。
 やや間を置いて、ディテイルは言った。
「行くよ。俺、あいつに言ってやらなきゃいけないことがあるんだ」

     *

「ディテイル、運転の仕方教えるから、何かあったら代わって」
 出発してすぐ、サリディアはそう言った。計器類は色々あるが、細かいことまで教える気はない。最低限で十分だ。
 一方、ディテイルの方は複雑だった。なにしろ分かりもしないのに手を出して、事故を起こした記憶が新しい。もっとも、そういうことをぐずぐず引きずる彼ではなかったが。
「覚えたらすぐに代わるよ。サリサは少し休まなきゃ」
「……ん」
 彼女はにこっと微笑んだ。ディテイルのことは大好きだ。自分を偽らない、真っ直ぐなその心。強く輝くその瞳。父もラーテムズ助手も――皆大好きだ。皆、本当に大好きなのに、何かが違う。セルリアードに対する思いは何かが違う。彼女自身、いったい何が違うのかはっきりしなかった。父に「彼のことをどう思う」と聞かれた時も、だからこそ答えに迷った。彼が『好き』なのは確かだけれど――
「だけど、何かありそうなのか? サリサが俺に頼むなんて……」
 言いかけ、ディテイルはふと彼女を見直した。
「疲れてるの?」
 サリディアは申し訳なさそうに頷いた。出発前、彼女は一度倒れかけている。さすがに無理をしすぎたようだ。
「ごめんね」
「え?」
 サリディアは何でもないというふうに首をふり、すぐ説明にとりかかった。
 本当は、ディテイルにこれ以上の面倒は押し付けたくない。けれど、状況がそれを許さない。
 ディテイルはしばし怪訝そうな顔をしていたが、すぐにそんなことは忘れてしまった。
 

 Y
 翌日の早朝、セルリアードは久方ぶりにさわやかな朝を迎えた。心は奇妙なほどに穏やかだ。椅子にかけたままで眠ってしまったが、特に痛むところもなかった。むしろ、彼はかつてないほど、いや、かつてと同じくらい安らかな眠りを貪った。
 窓から差し込む光が美しい。部屋は大理石と黒曜石が交互に張られており、それ自体が結界だった。その壁面に朝の光が反射して、きらきらときらめいて――まるで夢のような光景だ。
 部屋は華麗な牢獄。彼の魔力と身柄を閉じ込めている。
 魔道師たちの力は、まだまだ未知のものなのだ。畏怖され、崇拝され、時に迫害されながら、彼らは生きている。彼らは互いに助け合い、秩序立った共存の道を模索している。その秩序の要がこの魔道都市、サン・エリスンだった。
 そして、その秩序を乱した者は――正午、火刑に処されることに決定していた。

     *

「わーい、お兄ちゃん見ーつけたっ!」
 冷え切っていた部屋がかなり暖まってきた頃、突然、幼い少女の声が降ってきた。セルリアードは驚いて声のした方を見やった。
「なっ……」
 通風口に、覚えのある少女の姿があった。
「ねー、下ろしてっ。ニニ、もう帰り方覚えてないんだー」
 ころころと笑いながら冒険心に溢れた少女が彼に言う。セルリアードは呆れながら彼女を抱き取るために立ち上がった。
「おいで。受け止めてあげるから」
 通風口はかなり高いところにあった。さすがに、そのままでは届かない。
「うん。落とさないでね」
 少女は怖がりもせずにそう言うと、ぴょんと飛び下りた。
 セルリアードがしっかりと受け止める。軽かった。
「お兄ちゃん?」
 ふいに、ニニはあどけない目を大きく見開き、涙を零した。
「え……」
 涙は次から次へと溢れ、こぼれ落ちて行く。どうして彼女が突然泣き出したのか、セルリアードには見当もつかなかった。どこか、痛むような受け止め方でもしたか――?
「どうしたの? お兄ちゃん、どうしたの?」
 ニニはしゃくり上げながらそう聞いた。彼は余計に混乱した。
「どうして、こんなに痛いのに泣かないの――? すごく痛いよ、胸が」
 彼は息を呑んだ。
「こんなに痛いの、我慢できるなんて変だよ」
 半ば無意識に、セルリアードはニニを椅子に下ろしていた。しかし、ニニは握りしめた手を放さない。
「お父さんもね……すごく痛がってた。お父さん、大怪我して死んじゃったの。その時、ニニの手、握ってごめんねって……その時も、すごく痛かった。胸が……」
 瞬間、ニニは小さく叫んで手を引いた。驚いた瞳で彼を見る。
 今、それまでのものとは比較にならないほどの激痛がきた。
「お兄ちゃん?」
 セルリアードは意識せず、右手で顔を覆った。涙は流れない。彼は光のない目で虚空を見ていた。
「ニニ!!」
 扉が開く気配と同時に、女の悲鳴が上がった。セルリアードはハっと我に帰った。格子の向こうに、3つの人影がある。
「な、んだと……!?」
 どうやら彼を連れに来たらしい、協会の役人らしい男が二人。彼らはこの土壇場に、人質を取られたものと思ったようだ。ほとんど呻くような声だった。
「やめて!! その子を奪わないで!! 私は言わなかったわ!」
 アリスンが半狂乱になって叫ぶ。娘がいなくなり、嫌な予感がして無理を言ってここまでついて来させてもらったのだ。けれど、まさか予感が当たっているなんて――
 確かに彼女は秘密を漏らさなかった。それは彼が娘を助けてくれたから。けれど、彼女は彼に火刑を宣告したのだ。たとえ一度は娘を助けてくれた相手でも、もはや通用すまい――
「お母さん……」
 ニニが泣きはらした顔で母を見る。
「お母さん、どうしたの? あのね、お兄ちゃん、すごく痛がってるんだよ」
 その言葉を理解したのは、母であるアリスンだけだった。
「ニニちゃん、ほら、お母さんのところに戻りなさい」
 セルリアードは少女に触れず、言葉だけで促した。もう落ち着いてはいるが、そもそも初めが一番平静だったのだ。少女の能力は、心の最深部にまで感応する。
「うん? でも、お兄ちゃんはどうするの? 何でこんなところに一人でいるの? 綺麗だから?」
 ニニにきょとんとそう聞かれ、セルリアードは苦い顔を格子の外へと向けた。部屋は格子によって二つに仕切られていて、今は奥の扉だけが開いている。ニニが直前まで行けば格子の扉も開くのだろうが――ニニは動かない。
「仕方ないね……。じゃあ、私が先に出るから後からついておいで」
 セルリアードは先に立って歩き、格子の隙間からおとなしく両手を差し出した。役人が不審と警戒を隠せぬままに、それでも慎重に寄って来る。彼は黙って待った。間もなく銀製の、魔力を封じ込める力を持った手錠がかけられると、彼は手を格子の中に戻して扉の前まで歩いた。そこで立ち止まり、格子の扉が開けられるのを待つ。
「なあに? そんなのしてたら邪魔だよ。それも綺麗だからするの?」
 子供らしい疑問は胸に突き刺さる。誰も何も言わなかった。ただ、役人がますます警戒しているようなので、セルリアードは告げた。
「元気の良すぎる子からは、目を離さない方がいい――通風口でも、立派に子猫を楽しませてくれるんですから」
 役人たちは思わず顔を見合わせた。そこへ、ニニの無邪気な声がとぶ。
「お兄ちゃん、痛いのお母さんに直してもらいなよ。お母さん、ニニが泣いてればちゃんと慰めてくれるんだよ」
同調シンクロ――!?」
 はっと気付いたように、役人の一人が言った。アリスンに驚いたような、詰問するような目が向けられる。
 彼女は黙って頷いた。
 同調シンクロ
 それは稀に幼児に現れる力で、成長と共に消えていく。しかし、そのなんたるかは全くの謎だった。魔道ではない。ただ、肌に触れると相手の『心』が直接入り込むらしい、ということがわかっているだけだ。それも入り込むのは『記憶』ではなくあくまで『心』、むしろ感情に近いものだという。
「時間は大丈夫なんですか?」
 セルリアードにそう聞かれ、役人はあわてて扉を開けにかかった。

     *

 それはどこかさかしまだった。
 役人たちは不当な罪悪感に苛まれ、まるで罪人さながらの表情だ。
 そしてセルリアードは、むしろ穏やかに哀しげに、無邪気な少女を見ていた。右に回って左に回って、楽しげに彼に話しかける少女。まるであの日の彼女のように。もう、裏切るだけなのに――もうすぐ彼は少女を裏切る。彼女の思慕を。

* 第12章 覚醒 に続く

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◆ ご感想 ◆
罪 罰 死刑/ニニちゃんへ/どうして一人で背負い込もうとするのか/何も言わないにも、ほどがあると思います
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