美香には憧れている方がいます。
白羽の龍影(しらはのたつかげ)様とおっしゃって、それは素敵な方です。大変に整った顔立ちをしていらして、背もすらりと高く、それだけでも女性としてはどきどきしてしまいます。ですが、逆に引く気持ちもあります。ここまで素敵な方では、美香では到底釣り合いません。身の程知らずな恋は恥をかくだけです。
だから、本気になんてなりません。
……。
まだ子供だった十二の頃、お友達が美香の目の前で白様に告白なさいました。茜様という方ですが、別に意地悪されたわけではありません。あの方は無邪気な方でしたから、美香の気持ちになんて気付いておられなかったのでしょう。
とはいえ、美香もふいのことにびっくりして、
「ひどいわ、茜様。美香だって龍影様をずっとお慕いしておりましたのに」
思わず、気持ちを口に出してしまいました。
一方白様は、まだ色恋沙汰には興味がおありでなかったらしく、正直にそう告げられて笑われました。美香たちの気持ちを、柔らかく返して下さいました。美香たちの気持ちに応えることはなさいませんでした。
好きです。
とてもきっぱりとした態度をお取りになって、変に気を持たせたりはなさらない所が、また大変に潔く、好感が持てます。
好きです。
本気になんてなりません。本気になんて――
本気になったって、仕方ないのですもの。
美香は中等部の、最上級生になりました。
お稽古と勉強の合間に、美香は時間を見つけては、白様の気持ちをどうにか引こうと頑張りました。本気ではありません。
釣り合わないのも実らないのもわかっています。
ただ、恋していたかっただけです。
このところよく、両親が美香の縁談の話をしていますので、すぐ、恋などできない身分になるでしょう。
その前にほんの少し、好きな人を追いかけて、心の揺れる日々を楽しみたかっただけです。
――本当は、本気でした。
でも、美香は育ててくれたお父様、お母様のものです。わがままは言えません。
……。
美香は……。
十五の冬、美香はお見合いをしました。
相手は水晶師の沙羅。
お父様とお母様は、その方についてこう言いました。
少々心を閉ざされているけれど、大変にお優しくて、帝の後援を受けた将来性のある良い方だと。安心して嫁げる方だと。
その縁談は破談になりました。
水晶師に会って。真っ青な顔で座り込んでいた美香に、彼が言ったのです。
「あなたは何も言わないね。言いたいことはあるんだろうに――」
言いたいこと? 何を?
結局、水晶師が美香を気に入らない様子を察した両親が、そう言われる前に話を終わらせました。恥をかきたくなかったのでしょう。
その日、家に戻って。
帰り道。両親はさんざん美香をなぐさめ、水晶師をののしりました。
何を言われるのです、お父様、お母様。
お父様もお母様も、先に会っていたのでしょう? あの人を知っていたのでしょう? 美香への反応が予想を裏切った、ただそれだけのこと……。
美香はふらふらと窓辺に向かうと、そこに飾ってあった、高価な陶芸品を手に取りました。お父様からお誕生日に頂いた、大切なもの……。
美香は手を離しました。
それは意外に頑丈で、柔らかな絨毯の上に落ちただけでは壊れませんでした。
美香はムキになってそれをつかむと、渾身の力でそれを壁に叩きつけました。
それはガチャンと、鈍い音を立てて割れました。
きっと、美香は鬼のような形相だったと思います。
でも、許せなかった。
愛しているなんて、笑顔でそれを贈ってくれた両親が。
信じていた自分自身が。
信じて……いたのに……。
美香の頬を、涙がぼろぼろ伝い落ちて行きました。
水晶師は大変醜い方でした。顔半面が、青黒く焼けただれていて……。聞いてはいましたが、美香は悲鳴を抑えるだけで精一杯でした。とてもショックでした。まるで、死人が動いているようで……。恐ろしくて、見たくなくて、美香はずっと下を向いていました。
あんな……。
胸が痛い。
美香のためなんて嘘ばかり。
あの恐ろしい、死人のような水晶師と森の奥の小さな家で暮らすのが、一生をそんな所に閉じ込められて暮らすのが、美香のため?
嘘ばかり!!
悲しくて悔しくて、美香は何度も何度も陶器を床に投げつけました。
将来性なんて嘘です。
水晶師は世襲できない身分です。
水晶を作る以外に何の能もなく、その才を生かして人脈を作ることすら放棄している水晶師に、そんな彼との暮らしのどこに未来が!?
嘘ばかり!!
お父様とお母様は、美香を捨て駒になさるおつもりだったのです。
水晶師を見た瞬間、美香は全てを悟りました。
美香を犠牲にして帝の機嫌を取って、お兄様の将来、家の将来を安泰にしようと……。
政略結婚もあるかもしれないと、覚悟はしていました。
けれど、こんなにひどい――!
お父様、お母様、あなた方は、美香を平気で切り捨てられるのですね?
美香が苦しむことも、傷つくことも、まるで構わないのですね?
美香はお二人のためなら、意に添わない縁談でも、受ける気でおりましたのに……!
美香はその日から、とても意地が悪くなりました。
両親に愛され、応援され、身の程もわきまえず、白様にまとわりつく茜様が無性に憎くなりました。
茜様なんて、どんな苦労も知らない。勉強だってお稽古だっておできにならない。ただ可愛いだけで、誰からも愛され、ちやほやされて……。
そのくせに、白様まで美香から奪おうとする。
茜様だけではありません。白様に思いを寄せる女性は、たくさんいます。
でも、美香は茜様が一番憎かった。
まっさらで純真で、何の屈託もない茜様が。天使のような顔をして、今の美香に唯一残された、白様まで奪おうとする茜様が……。
やがて、美香たちは高等学校に入学しました。
それから間もなく。
白様はある女生徒を好きになりました。
天邏の梓様と言う、大変に身分の高い女性を。
……白様、美香は知っています。
白様は、彼女の身分が高かったから、なおかつ付け入る隙があったから、彼女を好きになったのでしょう?
白様はそういう方です。
白様は大変に器の大きな方ですから、本当はどんな女性だって、好きになれるのです。その価値を見つけられるのです。誰でも好きになれるなら、より都合のいい人を――チャンスをつかめる相手を選んだ方が利口ですものね。
白様には上を目指せる器量がありますから、それはきっと、正しいことなのでしょう。
それでも、白様が彼女に本気になるにつれ、美香の気持ちは暗くなっていきました。
最近では水晶師のそれがうつったように陰気になった美香に、両親は冷たく当たります。
学力考査がありました。美香は学年は違いますが、白様と同じ七番でした。
そんな下らないことでも、美香は嬉しかった。
「ふうん、美香、頭いいとは思ってたけど、やるじゃん」
美香を見つけた白様が、お声をかけて下さいました。それも、美香をお認めになって!
どんなに嬉しかったでしょう。
白様だけです。美香をおほめになるのは。なぜなら――
「うふふ、同じ順位ですね、白様。貴紀お兄様の妹ですもの。白様、悔しい?」
白様は嬉しそうに笑うと、こう言ってのけました。
「次は抜くさ」
美香のお兄様は、白様と同じ学年です。そして、トップです。
こんなお兄様ですから、両親が期待するのは無理ありません。
美香を犠牲にしてでも、道を開いて差し上げたいのでしょう。
ちなみに、白様は美香以上に、美香のお兄様と仲がよろしくて、よく何やら一緒に悪だくみをしてらっしゃいます。
わかって下さいますか?
美香の両親は、美香の7番なんてお喜びにはなりません。
どうしてあと6人抜けない?
そう、お叱りになるだけです。
でも、美香は一生懸命やっています。これ以上、どうやって……。
いらないのです、美香は。
どんなに頑張っても、両親が望む結果は出せません。そんな美香、いらないでしょう?
できのいいお兄様がいますもの。
美香なんていらないでしょう?
……。
いいえ。
十六年もかけて育てた「大事な」娘をただ捨てるなんて、あんまりもったいないですものね。
お父様、お母様、美香にかけた労力を、取り戻したいのですね。
でも美香は、そのために嫁ぐはずだった水晶師にさえ、気に入られなかった。
本当に役立たずです。
育ててもらったご恩にまるで報いることのできない、役立たずです。
でも……お父様、お母様。――美香がいけないのですか?
そんなある日。白様が身内殺しの咎で、捕らえられました。家督狙いということです。
それを追うように、梓様が水晶師との婚姻を決めました。
美香はもちろん、少し複雑な気持ちになりました。わかってはいましたが、おかわいそうに、梓様はよりにもよって水晶師に嫁がされるようです。
恋仲だった白様が罪人というのは、天邏にとって恥です。
おそらくお父様である天邏伯が強行されたのでしょう。そういうものです。
でも、たいして同情する気は起こりません。
そういうものなのですもの。貴族の子女に、自由恋愛なんて許されません。
そういうものです。
それより、白様のことが気になります。どなたに陥れられたのかしら……。
白様は大変賢い方ですから、家督を狙うのであればもっと上手にやるはずです。
いいえ。
潔癖な方でもありますから、実力で正々堂々勝負したでしょう。
白様が家督を狙わないとは言いませんが、こんな方法は取らないはずです。
どうしたらいいかしら……。
美香はその日から、お兄様と協力して、白様の身の潔白を明かすため、駆け回りました。
一生懸命考えて、やれる限りのことをしました。
不思議なことに、天邏伯が白羽家の後援に回ったので、随分助かりました。
ああ――。
不思議ではありませんよね。
もはや関係ないとは言っても、梓様の元恋人ですもの。咎人などではないに越したことはありません。
だから、協力して下さったのだと思います。
ある日、白様のお父様に意識が戻られました。
お兄様二人は亡くなりましたが、お父様だけは命を取り留められたのです。
そして、その口からついに白様の身の潔白が明かされました。
美香はとても嬉しゅうございました。
白様は美香のものにはならないでしょう。
それでも、美香は憧れの白様のお役に立てたのです。それだけでも、役立たずな美香にとっては嬉しいことでした。救われた思いでした。
安心した美香はふと、気がつきました。
家に帰りたくない。
学園にも行きたくない。
お父様とお母様の視線が痛いのです。
白様を助けるために駆け回っていて、美香の成績は少々落ちました。お兄様のそれは落ちませんでした。同じように、駆け回ってらしたのに。やっぱり出来が違うのです。
ただでさえ、美香が陰気になったとお怒りだった両親は、それに激昂しました。
こんな良い所なしで、どこに嫁にやれるかと。
おまえなどいらない、出て行けと怒鳴られました。
ああ――
家に、家にいたくありません。でも、行く所もありません。
学園にだっていたくない。
怒りっぽく冷たくなった美香を、誰もが避けます。嫌がります。
どこにいても、美香はいてはいけない気がします。
ああ――
美香はどうしたら……。
つらい。
もし白様が美香を殺してくれたら、どんなにか――
でも、そんなことは頼めません。白様がお困りになるだけです。
でも白様。美香はあなたに救ってほしい。
妻にしてほしいなんて、無理なことは言いません。
でも、美香はもう生きていたくないのです。
毎日がつらくてつらくて仕方ありません。
怒られるだけなのに、どうして美香は勉強しているの? お稽古をしているの?
嫌われたくないのに、嫌われるとわかっているのに、どうして他人に冷たく当たってしまうの? 意地悪してしまうの?
もう、美香にはどうしていいかわかりません。
美香はもうだめです。
美香の心は冷たいもの、暗いもの、醜いものでいっぱいです。
誰もがねたましい。
誰もが憎らしい。
ああ――
もう白様にも、こんなに醜い姿は見せられません。こんなに醜い姿、誰にも見られたくない。
でも……。
お願いです、誰か、誰か美香を許して下さい。
役立たずな美香を。
冷たく汚れ切った、誰よりも心の醜い美香を。
私は何を望んでいるの?
誰が許してくれるというの?
私自身が許せなかったのに。
水晶師の弱さに、醜さに、嫌悪と拒絶しか与えなかったのに。
誰も、許してくれるわけなんてない――。
その日、美香は手首を切りました。痛かった。でも、死ねなかった。
血はすぐに止まってしまいました。
まだ肌寒い春先のこと、長袖を着てしまえば、傷口は見えません。だから誰も知りません。誰も――
梓様が間もなく水晶師のもとに嫁がれると聞いて、美香はふと、会いに行く気になりました。ほとんど知らない方ですが、美香と同じ境遇の梓様がどんな顔をしてらっしゃるのか、見たくなったのかもしれません。美香と同じように、捨て駒にされる梓様の顔が。
そう、多分――。
梓様の心が美香と同じように汚れているのを期待したのだと思います。私だけではないと、思いたくて……。
「美香様?」
美香に訪ねて来られて、梓様はもちろん驚かれました。
少々やつれたようですが、美香のように、憎悪に蝕まれた目はしていませんでした。
どうして?
美香は無性に悔しくなって、言いました。
「水晶師に嫁がれるそうですね、おめでとうございます」
「……」
梓様は悲しそうに頷かれました。
「……ありがとう、美香様」
美香は少し胸がすっとしました。梓様が今、確かに傷ついたのを感じたからです。今の美香は誰に対してもこんなふうなのです。最低だとわかっています。醜いとわかっています。誰にも愛されなくて当然だと、わかっています。
「梓様……おわかりとは思っておりますけど、万が一思い違いをなさっていては大変ですから、おうかがいしましたの」
梓様がおとなしいのをいいことに、美香は調子に乗って意地悪する気になりました。
いえ……。
もしかしたら、本当はこれを言うためにここに来たのかもしれません。
「水晶師に嫁がれる以上、白様のことは忘れなくてはいけませんわ。もしあなたが白様を引きずって、水晶師の気分を害したりしたら……天邏の責ですわ。経過がどうあれ、嫁ぐと決めた以上、他の男性のことは考えないのがけじめです。できなければ梓様、あなたは天邏の顔に泥を塗ることになります」
「……そうですね。お気遣い、ありがとうございます」
梓様はつらそうでした。でも、驚いた顔も、傷ついた顔もなさいませんでした。まるで、もとよりわかっていたようです。
「……取り越し苦労だったようですね、梓様はおわかりなのだわ。そう……あなたが白様を引きずったら、白様だって困られますもの。気持ちが宙ぶらりんになって、前に進めなくなります。白様は優れた、未来ある青年なのですから、一日も早く素敵な方を見つけなくてはね」
美香は半ばムキになって言いました。梓様が醜くないのが悔しくて。傷つけて傷つけて、美香と同じくらい醜いものにしたかった。
「……わかっています。龍影も……水晶師も傷つけるだけ……。ちゃんと、水晶師を愛せるように努力します……。……ですから、美香様もどうか、ご安心なさって下さいね。美香様は本当に、彼のことが好きなんですね。ここにいらしたのは、私が彼を傷つけないか、心配なさったからでしょう? そうならないように、できる限りのことをしたかったのでしょう? 龍影と父から聞いています。あなたが彼のために、どんなに尽力されたか」
「――!」
美香はびっくりしました。
白様が、それを知っていらしたなんて――!
「美香様、一つだけ、お願いがあります」
「……何かしら?」
美香は動揺を必死に隠して、答えました。大丈夫かしら。不自然ではなかったかしら。
「もし彼を思うなら、誰よりも彼を必要としているのは自分だとか、釣り合いがどうこうとか、気持ちを正当化するのはやめてほしいんです。もっと、素直に彼を好きだという気持ちで、彼を思ってほしいんです」
「な……何をおっしゃ……」
「美香様、そこまで彼を思いながら、どうして何も伝えないんですか? 本当はこんなに優しいのに、どうして意地悪ばかりなさるんですか? 彼が心配していました、あなたの様子がおかしいと」
「や、やめて下さいます!中傷は……」
美香はもうびっくりしてしまって、どう答えていいやらまるでわかりません。
美香が優しい?
美香が気持ちを正当化しようとしている?
知りませんわ、何のこと!
「美香様、そのままのあなたの気持ちを、彼ならきっと受け止めてくれます。たとえ応えることはできなくても。そのままのあなたをきっと受け止めてくれます」
「そ、そのままの私!? まるで、私が嘘つきのような言い方ですわ! ば、ばかじゃありませんの!? 私は優しくなんてありませんし、嘘つきでもありませんわ。あなたに会いにきたのは、白様に好かれるあなたが妬ましかっただけ! それ以上の理由はありませんわ!」
梓様はふいに、美香を優しく抱きしめられました。
「梓様!?」
どうしてでしょう。美香は何だかとても感極まって、わけもわからず泣いてしまいました。
「美香様、美香様は嘘つきなんかじゃない……。ただ、色々なことが許せないだけです。他人のことも自分のことも……。自分をがんじがらめにしてしまって、傷だらけになってしまって……どうしてこんなに傷ついて……」
梓様はずっと、美香が泣き止むまで、美香を抱いて下さいました。美香は、美香は――
こんなふうに、両親に愛されたかった。
そのままの美香を、だめな美香でも醜い美香でも受け止めてほしかった……。
美香はいつの間にかぽつぽつと、そんなことを呟いたようでした。もっとつたない言葉で。
「美香様……」
梓様は優しく言いました。
「美香様の人生は、美香様のものです。ご両親に感謝するのは大切ですが、言いなりになられることはありません。ご両親の話を良く聞くことは大切ですが、鵜呑みにされることもありません。美香様、あなたには、あなただけの人生がある――。ご両親とは違う物語があるはずです」
「そんなもの……」
「あります。もっと、自分を愛してあげて下さい。自分に自信を持たれて下さい。自分の気持ちを殺せば、他人の気持ちも殺したくなります。もう、自分を追い詰めるのはやめて下さい……」
「……」
梓様の腕は、とても温かくて優しいものでした。
冷え切っていた美香の心さえ、少しですが、溶かして下さいました。
梓様――
美香はこんなふうに感じました。
美香は、梓様は捨て駒になるのだと、考えてきました。
でも、梓様ならもしかしたら、ないはずの水晶師の未来を開けるかもしれない。
いえ……。それはやはり無理だと思います。本当に、水晶師の心は死んでいました。
でもせめて、水晶師に生きるというのがどういうことなのか、それを思い出してもらうことくらい、できるかもしれない。
梓様。あなたは本当に優しい方です。頭の良い方です。
きっと、あなたが誰より白様にふさわしかったと思います。
でも……。
水晶師を救えるのも、あなたしかいないと思います。少なくとも、美香には無理です。
だから、どうか、あの人を受け止めてあげて下さい……。
私をこうして、優しく受け止めて下さったように。
あなたは不思議な人――。
間もなく、梓様は水晶師に嫁がれました。
不思議なことに、あれ以来、あんなに癪にさわった茜様の言動が、以前ほど気にならなくなりました。むしろ、美香も頑張りたいと思うようになりました。
美香も、本気で頑張りたい。
無理なのはわかっているから、なんてすました顔をせずに、本気で頑張りたい。
白様――
その日。
美香は二度目のお見合いをしました。
「白様!!」
その夜、外は土砂降りでした。けれど、美香は傘も持たずに白様の家に行きました。
「白様!!」
「美香!?」
美香に気付いた白様が、目をまん丸にして美香を見ました。
「どうしたんだ、傘もささないで! 夜中だぞ!?」
「白様!!」
美香は白様の姿を見つけると、もう何も考えられず、その胸にしがみつきました。
びしょ濡れの私がしがみついたら迷惑だとか、こんな遅い時間に迷惑だとか、何も考えられませんでした。
「殺して!! 美香はもう生きていたくない。殺して下さい!! もういや!!」
「美香!?」
白様は黙って美香の肩を抱くと、とにかく家に上げました。
「美香、どうしたんだ」
乾いたタオルで美香を拭いてくれながら、白様が聞きました。
美香はもう何も考えられず、白様に促されるまま、何もかも吐き出しました。
ずっと白様が好きだったこと。
両親のこと。
水晶師のこと。
そして今日、身分だけは高いけれど、まるで父親のように年の離れた男性に嫁げと言われたこと。
「あんな人はいや!! 水晶師の方がまだましだった!! 私をいやらしい目で見る!! こわい、助けて、白様――!!」
話を聞くと、白様は厳しい顔で美香を見ました。
「それ、ちゃんとご両親には言ったのか? 美香」
言ったわけがありません。だって、聞かれませんもの。美香が泣きながら首をふると、白様は美香の腕を痛いくらいにきつくつかんで、外に出ました。
馬車を出し、真っ直ぐ美香の家に向かわれます。
いや。
帰さないで。
いや――!!
「薬匠守(やくのたくみのかみ)!」
白様は美香の家に到着すると、大声で美香のお父様を呼ばわりました。美香はもちろん驚きました。
「何だ!? こんな時間に――!」
現れたお父様の顔は、非常識な相手に対する怒りで大変恐ろしいものでした。お仕事の疲れもあります。
しかし、その顔はすぐに凍りつきました。
「美香!? おまえ……こんな時間に外に出たのか!?」
「ご……ごめんなさ……」
「どういうことだ!」
「それはこちらのセリフです!」
美香に怒鳴りつけたお父様に、白様がきっぱりと、強い口調でそう言いました。
美香にはもう、何が何だかわかりません。ただ、お父様の恐ろしい形相に竦んでいました。
白様はこれまで、美香が言いたくても言えなかったことを、全て美香の代わりに言って下さいました。
お父様が厳しい口調で彼をののしっても、怒鳴りつけても、一歩もお引きになりませんでした。最後まで、美香の気持ちを主張し切って下さいました。
美香は生まれてからこれまで、こんなに、誰かに強い気持ちで味方になってもらったことなどありません。
いいえ。
そもそも、こんなに強い人など、見たこともありませんでした。
美香は――
生まれて初めて、救われた気持ちでした。
お父様との話が終わると、白様は美香も怒りました。
「美香、言いたいことはちゃんと言わなきゃだめだ。二度と、それもせずに死のうとなんてするな」
言いたいこと……。
それは前にも誰かに――
「はい……はい、白様……」
白様、美香は今本当に、あなたに愛されたい。
どうか、せめて、頑張らせてください――
……そう、言うべきなのですか?
「ありがとうございます、白様……美香は……美香は……」
美香は慣れない言葉で精一杯、そう言おうとしました。
「……頑張ります」
美香の恋は、これからです。白様――
◆◆◆ 終わり ◆◆◆