茜には五つの時から十年間、一筋に思い続ける方がいます。
白羽の龍影様とおっしゃって、それは素敵な方です。容姿端麗、頭脳明晰、その上大変にお優しいのです。
忘れもしない五歳のあの日、茜は水たまりに足を取られて転びました。みんなが茜を笑いましたが、白様だけは、黙って手を差し伸べて下さいました。とても嬉しゅうございました。
その時からずっと、茜は白様をお慕いしているのです。
でも……。
白様は前記のように大変素敵な方ですので、思いを寄せているのは茜だけではありません。
十二の春の日に、茜は勇気をふりしぼって白様に告白しました。
そうしましたら、白様が返事をするより早く、お友達の美香様に言われてしまったのです。
「ひどいわ、茜様。美香だって龍影様をずっとお慕いしておりましたのに」
茜は大変うろたえました。だって、そんなこと、考えもしなくて……。
茜がおろおろしているうちに、白様がおっしゃいました。
「茜も美香も好きだけど、俺、まだ彼女とかってほしくないんだよね。今まで通り、友達じゃだめかな?」
まさかだめだなんて言えません。茜はがっかりしながら、それでいいと言いました。でも、美香様は違いました。
「白様、今は『まだ』だめでも、もう少し大人になったら可能性はございます?」
茜は大変ショックを受けました。一歩リードされてしまいました。
「うーん……『可能性』はあるかもね」
「でしたら白様、どのような女性がお好みですの?」
「どのようなって……うーん、そりゃあ、可愛くて頭が良くてはきはきした子がいいよ。来年も同じこと言うかはわかんないけど」
「ええ!? 好みって変わりますの?」
「そりゃ変わるだろ。五年前は近所に住んでて、俺の言うこと聞く子がいいって思ってたし」
「まあ」
美香さまは大変白様と会話が弾まれています。このままではいけません。茜は頑張って自分もお話に入らなくてはと思いました。
「あの、茜も割と白様とはご近所だと思うのですが……茜はどこが悪くて好きになってもらえなかったのでしょうか」
「え? ああ、だから好きだってば。嫌う理由はないだろ? でも……何ていうのかなあ。恋人の好きと友達の好きって違うだろ?」
それはそうです。あかねはすごすごと引き下がりました。
その日から、茜は思いつく限りのおしゃれをして、勉強も一生懸命に頑張りました。
それから、言いたいことははっきり言うように心がけました。これが一番大変でした。でも、これができなければ白様には近付けません。だって、白様は年々人気が高くなってしまって、存在をアピールしないと強引な子に押し退けられてしまいます。
でも、口答えすると強引な子はすごい目で睨むので、茜はこわくてノイローゼになりそうでした。白様がいる時でしたら白様が庇って下さいますし、その子も猫をかぶってらっしゃいますので、そんなにこわいことはありません。でも、白様がいない所ではいじめられました。
そんなある日、茜は『白様親衛隊』を結成することを思いついたのです。我ながら、素晴らしいアイディアだと酔いしれました。白様を慕う女性には等しく白様を見つめ、追いかける権利があるのです。お互いに邪魔せず協力しあい、その代わり抜け駆けもなしです。名案です。茜は早速いじめられ仲間と3人で『白様親衛隊』を始めました。
それはとても楽しい日々でした。
でも……。
高等学校に入学してから、気がかりなことがあります。
探しに行くと、白様がこのところよく、焦げ茶の髪の女生徒と一緒にいることです。
可愛らしくて優しげな方です。
茜には、白様の方からアプローチをかけているように見えて……。
そんなある日、武術大会がありました。大変楽しみにしていた大会です。白様ときたら気絶するほど素敵でいらして、茜は親衛隊のみんなと声を限りに応援しました。もう最高です。
それでね、聞いて下さいます!?
白様、準決勝で惜しくも負けてしまったんですけど、最後にこちらに向かって手をふりましたの!!
もう、誰に手をふったのかで大騒ぎです。茜に向かってふって下さったのなら、どんなにいいでしょう!!
ところが、茜の悪い予感は的中してしまいました。
早速試合を終えた白様を探しに行った茜たちは、「俺の彼女」と、例の女生徒を白様から紹介されてしまったのです。
その方は天邏の梓様と言って、大変に可愛らしい方でした。あまりおしゃれしてはいらっしゃいませんでしたが、茜には何だか気品が漂って見えました。
それと言うのも、その方は上のクラスの方なのです。つまり、ご身分の高い方です。とてもかないません。
その上、その方は頭も大変よろしくて、先だっての考査では、学年で十七番だったそうです。白様は七番です。学年が違いますけれど。
茜ですか?
茜は……頑張りましたが、百四十人中七十番です……。
お二人の足元にも及びません。桁が違ってしまっています。
茜の幸せな日々は終わりました。
茜は悲しかったので、切々とお母様に胸の内を語りました。そうしましたら、
「茜さん、諦めることはありません」
お母様がおっしゃいました。
「その方は上のクラスの方なのでしょう? きっと、その方のお父君が許しませんわ。いくら白羽の龍影様が優れた方でも、越えられない壁というものはあります。……そうね、お母様に任せなさい。お母様が天邏の伯爵様にお話すれば、すぐにでも……」
「や、やめて下さい、お母様!」
茜はびっくりして止めました。
白様の恋路を邪魔するなんて、とんでもありません。
でも……。
茜は偽善者です。
実際には何もしませんでしたが、茜は密かにお母様の言葉通りになる日を、今日か明日かと心待ちにしていました。白様ならうまく行ってしまうかも、と思いながら、うまく行かないことを祈り続けていました。
みんな茜のせいです。
きっと、茜が熱心に熱心に心の底から二人の破局を祈ったせいで、あんなことになってしまったんです。
白様と梓様は別れました。
親兄弟を殺したとして、白様が謹慎させられているうちに、梓様は別の方に嫁がれたのです。
二人は確かに破局しましたが、白様は罪人にされてしまいました。絶対に濡れ衣です。そんなことをなさる方ではありません。絶対に絶対に濡れ衣です。
茜は泣き喚いて白様に会いに行こうとしましたが、お父様とお母様に止められました。茜も謹慎させられてしまいました。
梓様はひどい方です。優しい方に見えたのに、白様が罪人にされた途端、お見捨てになったのです。あんまりです。
茜は梓様が憎くて仕方ありませんでした。死んでしまえばいいと思いました。でも、聞いた話では、梓様が嫁がれたのは、大変身分はあっても意地が悪く醜い方のもとだそうです。いい気味です。白様をお見捨てになるような方は、死ぬまでいじめられて後悔なさればよろしいのです。
三ヶ月が経ちました。
茜はやっと、学校に行けるようになりました。
そうして驚きました。白様がいらっしゃったのです!!
茜は夢中で駆け寄って、白様に飛びつきました。
「白様、白様、ご無事でいらしたのですね! どんなに心配したか……」
「茜」
白様は暗い声で呟いて、茜を引き剥がしました。こんなに生気のない白様を、茜は初めて見ました。
「お父様、お命を取り留められたそうですね。良かった」
「……ありがとう」
白様は笑いもせずにそう言いました。茜のことなんて見もしません。梓様がいた時でさえ、見るだけは見て下さったのに。
「白様……梓様のことを、まだ……?」
「……」
白様はお答えになりませんでした。茜は悔しくて悲しくて、夢中で言っていました。
「茜がおります! あのような方のこと、お忘れになって下さい! 白様の立場が悪くなった途端、お見捨てになるような……。あのような方、意地の悪い水晶師のもとで、せいぜい苦しまれればよいのです!」
茜の言葉に、白様は恐ろしい目をしました。
「――茜」
茜は白様のことを思って言ったつもりでしたのに、白様はお怒りになったのです。茜はびっくりしました。思えば茜は過去一度も、白様を怒らせたことはなかったのです。
白様は茜の襟首をつかみ、手を振り上げられました。茜は怖くて竦み上がりました。
でも、白様は黙って茜を放しました。女性には手を上げない方です。
「茜、どうして俺がここにいられるのか、知っている?」
「お、お父様の意識が戻られて、身の潔白が明かされたからでしょう? 知っています」
まだ少し、茜の声は震えていました。
「それだけじゃないんだ。天邏伯が手を回して、白羽が潰れないよう、決定的な事態にならないよう、終始後援して下さったから……」
「天邏伯が!? でも、でしたらなぜ梓様は!」
白様は何とも言えない目をして、茜を見ました。とても、とてもおつらそうでした。
「白羽を……天邏が白羽を後援する条件で、梓が嫁いだからだよ。俺のために、知りもしない水晶師に!」
茜はあんまりびっくりして、何も言えませんでした。梓様は、白様のために――?
知りもしない人にお嫁に行った――?
茜はあんまり恥ずかしくて、涙が止まらなくなってしまいました。
茜にはそんなこと、絶対にできません。知らない人にお嫁に行くなんて、白様を忘れるなんて、絶対にできません。
この三ヶ月そうだったように、ただ泣いて白様を助けてと、言うだけで……。
茜は何も犠牲にせず、どんな傷も負わず、ただ泣いていただけです。そのくせ、梓様など死ねばいいと思っていたのです。
自分があんまり情けなくて、醜くて、茜はとても悲しい気持ちになりました。
思えば茜が祈ったことなんて、梓様がいなくなればいい、死ねばいい、そんなことばかりです。
他の人に嫁いだりしたら、もう白様を失うしかないのに……。
茜はきっと、茜が助けた白様が他の方と一緒になるとわかっていたら、白様を助けられません。白様が茜ではなく、梓様を好きになったのは、当たり前です。
「……茜……」
「白様……茜には……茜には、梓様のように白様のことだけ考えることはできません……茜のそばにいてもらうことしか、考えられない……」
「……十分だろ、それで」
「……え……?」
「そんなふうに犠牲になられて、嬉しいわけないんだから。見習うなよ!? あんなの!」
白様は今度は梓様に怒っているようでした。
「梓にだったら、『死なせても離したくない』ってくらい好かれたかったのにっ。梓のやつ、俺と離れることより死なれることのが嫌だったんだ、くそっ」
そ、それは腹立たしいことなんでしょうか……。
茜にはよくわかりませんでしたが、思わず言いました。
「し、白様! 茜は絶対に絶対に白様のためでも、白様を離したくはありませんわ!」
「あ? ……あー……うん……その姿勢は嫌いじゃないけど……」
白様は困った顔で目を逸らされました。
「あ……ごめんなさい、茜にそう思われても、ご迷惑ですよね……」
白様は申し訳なさそうに茜を見ました。
「そうだな……今は梓のことしか……あの態度気に入らないのに、それでも梓のことしか見る気にならないんだから……」
白様は、今度はご自分自身が腹立たしいご様子でした。お忙しい日です。
「白様……待っていてもいいですか……? 白様が梓様を忘れるまで……」
白様はじっと茜を見ました。それから首をふりました。
「悪いけど、今は待ってほしくない。何も負いたくないんだ、混乱してて……今はとにかく、家を立て直したい」
茜はその日、帰るなり布団に潜って泣きました。梓様はいなくなったけれど、白様は茜のものにはならなかった。待つことすら、だめと言われてしまいました。
茜はいつまでも泣きました。
茜は翌日、白様にタルトを持って行きました。
「茜? 待つなって言ったよな?」
怯みそうになりましたが、ここで怯んでは女が泣きます。
「はい。あの……だから待たないことにしました。白様が好きです。よろしければ……食べるだけでも食べて頂きたいと……思って……」
「〜」
白様はやれやれ、という顔で頭を抱えて、それでも受け取って下さいました。
「ありがと。もらっとく」
ちょっと迷惑そうでもありましたが、ありがとうと言ってもらえて嬉しかったので、これからも頑張ろうと思いました。
梓様には悪いのですが、茜はやっぱり梓様がいなくなって幸せです。おかげでこんなふうに頑張れます。梓様にはぜひ、水晶師さんと幸せになってもらって、白様のことはさっさと忘れて頂きたいと思っています。そうです。梓様はもう曲がりなりにも水晶師さんのものなんですから、白様を覚えていてはいけません。忘れるべきです。
白様と梓様が一日も早くお互いのことを忘れますように。
◆◆◆ 終わり ◆◆◆