グレインローゼ2

セリーゼの邪竜

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完 2000.07.06
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第1節

「……任されてくれるか、デズヴェリー」
「王命とあらば」

     *

「セリーゼに?」
 大きな屋敷の一階、趣味の良い造りの居間に二人の男の姿があった。一人は赤毛に緑の目の、いかにも誠実そうな若者。もう一人は青い髪に金の目で、ややきつい感じの魔法使い。彼らはエディフェイラ王国の一地方、アスベールの『守護者』と呼ばれる者たちだった。正確には彼らではなく、若者の肩にとまった鷹が『守護者』と呼ばれるのだが。
「何でも、セリーゼに送った使節が戻って来ないらしいんだ」
「それでどうしておまえが行くんだ。アスベールをどうするつもりだ?」
 青い髪の魔法使い、ラテリシアがつっけんどんにそう言った。本当は聞くまでもない。どうせ貧乏くじを引かされたのだ、このお人好しで真面目な若者は。
「それは……確かにアスベールを守るのが、俺の務めだよ。でも、だからこそ行こうと思うんだ。国の信用を得るのは決して無駄じゃない。それに、この任務はエディフェイラ全土のためなんだ。そこにはもちろんアスベールだって含まれる。他の『守護者』たちがいろいろあって行けない以上、俺が行かなくちゃ……」
 いろいろあって、も何もあるものか。皆面倒だから行かないだけだ。ラテルはよっぽど言ってやろうかと思ったが、いずれにしろファルクは行くと言うのだろうから。それはここ数ヶ月の付き合いで、骨身に染みている。
 ゆえに黙って席を立った。
「ラテル!?」
「行けばいい。だが、オレは行く気はない」
「ちょ……待てよ、それ……」
「悪いが、セリーゼには行きたくない。オレは二度と戻らない、あそこには……」
 ラテルは暗い瞳で虚空を睨み、付け足すように言った。
「魔法使いが必要なら、テューでも連れて行け。オレよりよほど頼りになる」
「そっ……おい、ラテル!」
 無情にも、ラテルはさっさと行ってしまった。


第2節

「セリーゼに……」
「一人で行こうかとも思ったんですけど、個人的なことじゃないし……。打てるだけの手は打つべきなのかって、その相談もあって来たんです」
 テューは一つ頷くと、しばらく考えていた。そう、ファルクはラテルに言われた通り、素直に『北の賢者』と呼ばれる魔法使い、テューの所に相談に来た。テューは相変わらず白地に青緑のアクセントをつけた裾の長いローブを身にまとい、髪は布を巻いたような帽子の中だった。綺麗な若葉色の房飾りと、紫色のリボンのついた帽子。この帽子をテューは決して外さない。
「そうですね、あなたの言いたいことはわかります。これで一人で行って行方不明になったりしたら、ただの愚か者――少なくとも、王は魔法使いが一人はつくと思って任命したんでしょうし」
「ええ、俺もそのつもりだったんです。まさか、ラテルが行かないなんて言うと思ってなくて」
 テューはもう一度頷いた。
「わかりました、行きましょう」
 途端にバン、と勢いよく扉が開いて、
「あたしも!」
 小柄な少女、エルシェが目を輝かせて現れた。
「げ、立ち聞きしてたのか!?」
「してましたね」
 どうやらテューは気付いていて黙っていたらしい。ファルクはこういう時、この賢者がわからなくなる。
「ねえ、あたしも行っていい?もう右でも左でも、立派に乗りこなせるんだよ。テューがこれなら竜乗り合格だって言ってたし」
「え……ほんとに?」
 やや意外そうな顔でファルクが聞くと、テューがにこやかに頷いた。
「十分です。乗りこなしますよ」
 竜乗りの修行は厳しくない。なぜなら竜の方が賢いからだ。
「これからいよいよ竜騎士としての修行に入るの。すごいでしょう」
「ああ、驚いた」
 ファルクがつい素直に感心すると、エルシェはご機嫌に言った。
「じゃあ決まり。あたしも行くね」
「う……」

<更新日 2000.04.07>


第3節

 ラテルは一人、町の酒場で飲んでいた。
 カランカラン
 騒々しく扉が開いた、次の瞬間。
「いました!ゼフィ様、こっちです!」
 現れた役人のような男がいきなり声を上げた。
「お客様!?」
 酒場の主人があわててとんでいく。
「困ります。お願いですから店内でもめごとは……」
 ラテルは既に駆け出していた。酒場の裏口へと。勢い良く扉を開け、外に出る。その途端。
「ラテリシア!」
「! ゼフィ……」
 罠か――
 気付いた時にはもう遅い。ラテルはセリーゼ兵に右と左を挟まれていた。前方は商店、後方からは初めの男が迫っている。
「ちっ……」
 ラテルはやけくそで呪文を唱え始めた。
「やめろ、話を聞くんだ!」
「話すことなど何もない! 俺は戻らない! あんなところに戻るくらいなら、死んだ方がましだ!」
 ゼフィは黙って、手にした袋の中から何かを取り出した。ラテルは反射的に口許を押さえ、その場に凍りついた。
 ゼフィが取り出したのは人の首――ラテルの末弟、レイゼンの首だった。
「レ……」
「聞け」
 ラテルはかっと目を見開くと、怒りと哀しみと恐怖に震える声で、ゼフィに怒鳴りつけた。
「上等だ! 手向かうなら殺すというわけか!? 時間なしには攻撃できない魔法使い……簡単に殺せるさ! 殺せばいい!!」
 ゼフィはどこか虚ろな瞳で彼を見て、それから言った。
「傷を見ろ」
 この上脅す気か。
 ラテルはまずそう思った。楽には死なせん――そういうつもりかと。
 けれど、ゼフィの瞳は真剣そのもので、こころなしか憂いの陰りを帯びていた。
 ラテルが既に恐怖に竦んでいると知ってか知らずか、ゼフィはラテルが指示に従うのを待っている。
「……」
 ラテルは正視しがたい首へと視線を向けた。傷口がどうしたと――
「殺したんじゃない」
 ゼフィが静かな声で、絶望を押し殺すように言った。
「殺されたんだ」



第4節

「へえ、じゃあ、結局あれっきり……」
「そう! 全然歌ってくれないの! ケチだよねー」
 エルシェとファルクが並んで進んで行く後を、テューがのんびりついている。
「だけど……まあ、なあ?」
 エルシェはテューが『グレインローゼの伝承歌』を歌ってくれないとごねている。しかし、この歌は禁じられた歌らしいのだ。この歌を歌ったばかりにテューは追われる身となり、人目を忍んで隠棲するハメになったという。そこまで痛い目にあえば、もう二度と歌うまいと誓ったところでおかしくない。わかりっこないんだから歌えばいい、というエルシェの主張もわからなくはないが――
「もうー。ファルクは気にならないの? 歌っちゃいけない歌って何なのか。裏切って王位と姫を手にしたグレインローゼがどうなったのか」
「いや、そりゃ気になるけど……。でも、結局死ぬってことはわかってるんだし。歴史の本にのってるからさ」
 エルシェが疲れた顔で息をつく。ラテルが「史実なんて皆嘘っぱちだ」と言ったのを聞いていなかったのか――
 違う。
 エルシェはすぐさまその考えを否定した。ファルクは聞いていて、だけれどピンとこなかったのだ。国の主張は皆正しいと思っているんだから。
「テュー、歌って〜」
「らららー」
「違うー!!」
 ガ、ガ、グアアとリーファが騒ぎだす。
「何だ!?」
 ファルクが何かあったのかと緊張した顔をリーファに向ける。出発してから3日目で、そろそろセリーゼ領だ。
「あ……リーファが歌ってくれるって」
「……」
 ファルクは「はあ」と息をつき、それから辺りを見回した。
「そろそろ村に出られるみたいだな。エルシェ」
「ん?」
 きょとんとファルクを見返すエルシェに、彼は言いにくそうに言った。
「悪いんだけど、この辺りでリーファを見ててほしいんだ。いくらなんでも目立ちすぎるから……」
「へえええ!?」
 今回の任務はまず様子を見てくることだ。目立ってしまっては話にならない。もちろんグレインローゼも人目は引くが、リーファほどではない。
「がっかり……」
 すっかりむくれたエルシェに向かい、テューが優しく言葉をかける。
「できるだけ早く戻ってきますから。それまで、リーファと遊んでいて下さい。ほら、すごく素敵な森でしょう? ここのところ訓練ばかりだったから、ちょうどいい息抜きですよ。それに……」
「テュー?」
 テューは心配そうにリーファの背中をなでた。
「……少し、気になることがあるんです。ここを見て」
 テューが指さしたのはリーファの首のつけ根の辺りだった。
「これ、鳥肌……?」
「そう、緊張してるんです。セリーゼ領に近付けば近付くほど、緊張が増してるようで……」
 そんなこと、まるで気付かなかった。まだまだ修行が足りないらしい。
「ですから、理由がはっきりするまで、ここで待っててほしいんです」
 エルシェはこくりと頷いた。リーファが変となったら待つしかない。万一リーファが病気になっても、竜を診られる医者はいないのだ。
「行きましょう、ファルク」
「あ……」
 ファルクはある質問をしようかどうかと逡巡していた。グレインローゼの様子はおかしくないですか、と。けれど、これは彼の鷹なのだ。テューに聞くのは変ではなかろうか。
「あの……」
「はい?」
 ファルクはなおもためらった後、結局聞いてみた。
「えっと、グレインローゼは平気でしょうか」
「ああ」
 テューはにっこり笑って言った。
「大丈夫、あなたの方がその子のことは分かっています。あなたが異常を感じないのなら、それは平気だってことですよ」
 ファルクはほっとしながら頷いた。そう、鷹の調子の見方は知っているのだ。ただ、どうも自分の見立ては信用できなくて。
 ファルクは気を取り直して国境の山を下っていった。

<更新日 2000.04.20>


第5節

 はあ、はあ……
 もうどれだけ走ったろうか。
 気が遠くなる。
 ――兄様――
 もう、未来は閉ざされたのかもしれない。


 ファルクはまず宿と厩を探していた。この先は大きな馬連れより、身一つの方が小回りがきいて動きやすいからだ。テューは公園で待っている。魔法でも使う気か、そこで情報収集をするそうだ。
「え……」
 ファルクはまず目を疑った。通りの向こうから、手を真っ赤に染めた少女が走って来るのが見える。その後を、数人の役人が追っているような……。
 クエェェ
 彼の肩にとまっていたグレインローゼが鳴いた。「あ」と、思った時にはグレインローゼは舞い上がり、少女の脇をすり抜け、真っ直ぐ役人に向かって突っ込んだ。
「……おい!?」
 気持ちはわからなくもないが、非は少女にあるのでは――
 もしこの少女を助けたら、おそらく国際問題だ。グレインローゼに「国際問題」などという意識はかけらもなかろうが。
 ファルクは一瞬ためらい、けれどすぐに引いていた馬にひらりと跨ると、真っ直ぐ少女目がけて馬を駆った。
「つかまって!」
 ファルクは左手で強く手綱を握り、右手で少女をつかまえた。そのまま馬の背まで引き上げる。いつ失敗するか、少女に怪我をさせないかと心配この上なかったが、どうにかうまくいった。
 あとは、グレインローゼが足止めしている間に駆け去るのみ!
「うっ……」
 ファルクがはずみで少女の胸に触れた途端、少女が低く呻いた。けれど、ファルクは呻き声よりその感触にぎょっとした。やわらかくて生温かかくてぬるっとした――
 ファルクは思わず少女を離しかけ、危ないところで抱え直した。
 彼女の手を濡らしていたのは、他人の血でなく彼女自身の血だったのだ。
 ――こんな少女を数人がかりで!?――
 事情はわからない。けれど、ファルクは役人側に怒りを禁じえなかった。


「テュー!」
 ファルクが公園に馬で駆け込むと、テューの方もすぐに異常を察して彼を見た。もちろんテューだけでなく、見ず知らずの通行人も注目している。
「ファルク、エルシェのところへ! 後から追いかけます!」
 迷いも見せず、即座にテューが言った。こういう時、ファルクはこの賢者に舌を巻く。こんな時まで冷静、かつ迅速な判断ができるのだ、テューは。
「わかった!」
 ファルクは馬を止めず、そのままテューのそばを駆け抜けた。とにかく逃げきるべきだと思ったからだ。
 少女は彼の腕の中でぐったりしていた。

<更新日 2000.04.29>


第6節

「テューさん、その子、大丈夫そうですか?」
「ええ。塞がりかけてた傷が開いただけのようですから。命には別状ありません」
 それを聞き、ファルクはほっと胸をなで下ろした。
「だけど、一体どうして……」
 ぐったりと眠る少女が痛ましい。年の頃なら十七、八、優しげで、人の恨みを買いそうには見えない少女だ。青い、ラテルと同じ色の長い髪を、ちょうど彼のように後ろで一つに結っている。服もセリーゼのもので、ラテルと同じような型だった。エディフェイラの服とはかなり違うので、見ただけでは男物か女物かもわからない。おかげでエルシェなど、初め『ラテル!』と叫んだものだ。
「そのことなんですが――この子の傷、刀傷ではないようなんです」
 ファルクは意表を突かれてテューを見た。
「じゃあ、何なんですか?」
「多分獣か何かに爪で……」
 と、リーファがクンクンと少女の臭いを嗅いだ。興味本位なのだろうが、今少女が気付きでもしたら――
「ん……」
 リーファの気配に気付いたらしく、少女が小さく声を漏らして目を開けた。ファルクはまずい、と思った次の瞬間驚いた。彼女の瞳の色を見て。またまたラテルと同じ金色だ。
「……リーファ?」
 まだ夢現らしい細い声で少女が言った。ファルクとエルシェの予想を裏切り、彼女はリーファを見てもかけらも驚かなかった。
「リーファも死んじゃったの? ごめん……ごめんね、リーファ……」
 ファルクはためらった末、
「ここ、あの世じゃないですよ」
 と声をかけた。エルシェが後ろでこけている。
 その声に彼女はぼんやりファルクを見、それから目を見開いた。
「あ……!? さっき、助けて下さった……」
 それからあわてて胸に手をやって、傷を確かめる。傷はきちんと手当てされていた。
「もう平気? 何だか死にそうだったから、結構心配してたんだけど」
 ファルクがいまいち緊迫しない言葉をかける。
「あ……はい、平気です。私……」
 彼女はふっと顔を曇らせた。
「私、兄を探さなきゃ……」
 ファルクはしばらく彼女を見、それから言った。
「もし良ければ聞かせてほしいんだ、一体何があったのか」
 つらそうな顔で見上げられ、ファルクは思わず遠慮しそうになった。けれど、このままでは任務は失敗だ。まだ何の調査もできないうちに、セリーゼに逆らうような真似をして――
「……俺はファルク・デズヴェリー。ちょっと前に派遣したはずのエディフェイラの使節が戻って来ないもんだから、その調査に来てるんだ。だから、良ければわかるだけでも話してほしい。どうしても話せないなら、無理にとは言わないけど」
 ここにラテルがいたら、『バカ、無理にでも聞け』と言ったことだろう。けれど、少女は隠すつもりもないのか、困った顔はしなかった。
「……ルシェイン・ガーランドと言います。私……」
 彼女はぐっとこぶしを握ると、逆にファルクに聞いた。
「その使節の方々は、一週間前、どの辺りにいらっしゃったんですか?」
「え……? 一週間前なら、えっと……セリーゼの王都を出立する予定だったと思う」
「……そうですか……」
 彼女は肩を落として呟いた。それきり黙ってしまった彼女に、テューが静かな口調で尋ねる。
「今、王都がどうなっているのかご存知だったら教えて下さい」
「……王都は……」
 ルシェインは顔を覆った。
「――滅びました」
「ええ!?」
 エルシェがびっくりして声を上げる。ファルクは絶句していた。
「何で!? 地震!? それとも津波!?」
「……竜に……」
 言いかけ、彼女ははっと目を見張った。
「リーファ!?」
 信じられない、という顔でリーファを見ている。
 一方リーファは嬉しそうにガアガア鳴いた。
「あれ……?」
 エルシェがきょとんと彼女とリーファを見比べる。
「知り合い?」
「……あの……」
「ラテリシアさんをお探しですか?」
 唐突にテューが聞いた。
「……はい! 御存知なんですか!?」
 またまた驚かされ、ファルクとエルシェは思わず顔を見合わせた。テューが一人で落ち着いている。
「そちらに――」
 テューがごく自然に示した方から、ラテルが諦めたように現れた。
「ラテル!?」
 ファルクとエルシェの驚くまいことか。
 ラテルは相変わらずの仏頂面で、今日も不機嫌そうに彼らを見ていた。特にテューを。
「いい性格だな、北の賢者。気付いていながら黙っているか」
「――? 黙っていたつもりはありませんが」
 無邪気に小首を傾げられ、ラテルは調子が狂った。
「兄様!」
 一声叫んで駆け寄る少女。しかし、ラテルはあまり嬉しそうにはしていなかった。ルシェインが気後れしたように立ち止まる。
 ラテルが背後を促すようにふり向くと、木陰からさらに軍服を着た、厳しい顔の男性が現れた。年の頃は四十代半ば、表情の暗さを除けば、かなりのナイス・ミドルだ。
「ゼフィ様……」
 ルシェインの口から消え入りそうな、震える小さな声が漏れる。
「――ルシェイン――」
 男性――ゼフィはきっぱりした口調で彼女に告げた。
「我々は、私とラテリシアは国へ戻る。戻って何かできるとも思えんが……何もしなければ、確実に何もできん。やれるだけのことはやるつもりだ。おまえはどうする?」
「私……」
 ゼフィとラテルの表情は、ただ暗く厳しかった。
 ルシェインが泣き出しそうな顔で、けれど告げる。
「戻ります。私にできることがあるなら――たとえこの命果てようとも、私は戻らなければ――」
 ゼフィは黙って頷いた。一方、ラテルは逆だ。無表情なまま視線を逸らす。
「兄様……」
 ルシェインが悲しげに呼びかける。けれど、ラテルは一向に彼女をふり返らなかった。ルシェインの頬を、涙が一筋伝い落ちて行く。
 ゼフィは黙って彼女をラテルの方に押しやると、ファルク達に向かって一歩進み出た。
「お初お目にかかります。私はゼフィ・ヴェストリアルと申す者。セリーゼの将校を務めております。エディフェイラの守護者・デズヴェリー殿、北の賢者と呼ばれるテュー殿、リーファを御したるエルシェ嬢――それで間違いございませぬな?」
 ファルクとエルシェは張り詰めた空気に呑まれ、ただ頷いた。テューだけが相も変わらず落ち着いている。ラテルとは別の意味で、不思議に無表情なテューである。
 ゼフィは誠意を込めて膝を折り、頭を下げた。
「ぶしつけながら、ご助力願い奉りたい。セリーゼの首都は現在、竜によって壊滅寸前――恐るべき氷竜の作った氷の壁によって、都の者は逃げることも叶わず、ただ竜に喰らわれております。デズヴェリー殿、どうかエディフェイラの王に事態を報告し、我等が助けを求めているとお伝え願いたい」
 ファルクは目を見開いてゼフィの言葉を聞いていた。が、すぐに我に帰って頷く。
「もちろんです。そのために派遣されたんですから」
 ゼフィは深く一礼すると、続いてテューに向かって言った。
「『北の賢者』の異名はセリーゼにまで届いております。稀代の魔法使いたるあなたを見込んでお頼みしたい。申し上げた通り、セリーゼは存亡の危機に立っており、刻一刻と罪無き命が失われております。援軍が間に合うかもわかりませぬ。そこで我等は援軍に先立ち、打てるだけの手を打ちたいと考えます。貴方にはできれば我等に同行して頂き、お知恵を授けて頂きたい」
 それは危険なことだ。
 いかな稀代の賢者、魔法使いといえど、しょせんは生身の人間だ。竜とでは勝負にならない。
 しかし、テューは穏やかに頷いた。
「わかりました、お手伝いしましょう」
 悲壮さでも、楽観でもなく。テューの声は不思議に澄んで、かつ淡々としていた。
 しかし、他のメンバーがびっくりするほど、その答えに反応した者がいる。ラテルだ。
「バカな! わざわざ命を落としに行く気か!?」
 なぜだろう。
「いいえ」
 ファルクたちが不思議に思うほど、ラテルはテューと衝突する。これほど穏やかで、かつ謎めいた賢者と衝突できるのも、それなりに才能だ。
「私は都と竜を救いたい。それだけです」
「バカな……」
「あたしもだよ!」
 エルシェが割り込む。
「ラテル、何でわかんないの!? ラテルとリーファの故郷、ほっておけるわけないじゃない! あたしも行くよ」
「おまっ……」
 もはや、開いた口が塞がらない状態のラテルである。
 セリーゼが故郷?
 笑わせる。
 あの国は牢獄だったというのに――
「勝手にしろ!」
 ラテルはくるりと二人に背を向けると、ずんずん歩き出した。彼には理解できない神経だ。何の義理もない他人のために、どうして命を張るのか。
「僕も行きます。国には、急ぐ意味でもグレインローゼで連絡します。仲間を放ってはおけません」
 背後からファルクの声が聞こえる。
 とんだお人好し集団だ――
 ラテルはもはやふり向く気にもなれず、黙々と歩みを進めた。

<更新日 2000.05.05>


第7節

 ヒョオオォォォ
 季節は初夏だというのに、氷の冷気を纏った冷たい風が吹いていた。
「これが……」
 一体何メートルあるだろう?
 まるで崖のような氷の壁が、彼らの行く手を阻んだ。
「これ、どうやって越えるんですか?」
 ファルクが聞いた。
「最初の課題だな」
 ゼフィが案外無責任に言う。
 一行はテュー、ファルク、エルシェ、リーファに、ルシェイン、ラテル、ゼフィが加わり、総勢6人と1匹になっていた。グレインローゼは単独、エディフェイラ目指して飛んでいる。
「賢者殿、魔法でどうにかならんもんですか」
 壁にぶつかると、早々にゼフィがテューへと話をふった。この辺り、あまり考えるのが好きではないらしい。
「ねえねえ、すっごく綺麗。こういう『透明な輝き』って好きだなー♪ 冷たくってつるつるで、すっごく気持ちいい」
 大はしゃぎで氷とたわむれる、エルシェの声が会話に割り込んだ。
「氷なんか珍しくもないだろう?」
 そう言いながらも、つられるようにラテルが氷壁をなでる。話が進まない。
「残念ですが、私の魔法はあまり魔法らしいものではないんです。私が『北の魔法使い』ではなく『北の賢者』と呼ばれるゆえんなんですが……幸い魔法に頼らなくても、壁を越える手段はありそうですが」
「ほう、どのような」
「冷たっ」
 またしてもエルシェの声が割り込んだ。氷壁をいじっていたところ、氷を折り取ったラテルが彼女に向かってそれを投げつけたのだ。もっとも、滑らかで小さな氷だから、けがをするほどではない。
「やったなあ♪」
 エルシェは壁のくぼみ、氷が溶けた水がたまったところに両手をつけると、大喜びでラテルに向かって突進した。
「濡れ手クラーーッシュ☆」
「やめろ、服が汚れるだろーがっ」
「あの子ですよ」
 ほとんど『音声多重』な状況にもめげず、テューが穏やかに言う。その視線を追って、ゼフィもぽんと手を打った。
「なるほど、少々危険は伴いそうだが、やる価値はありそうな」
「やめろっ!」
「ラテル、愛してるー♪」
「だあああああっ」
 ……話が進まない。
「おい、エルシェもラテルも不謹慎だぞ。やめろよ」
 ファルク偉い!
「何で俺だ!? エルシェだろう! この……」
「あ、ラテル、ずっるーい! 自分が先にやったくせに! 制裁っ☆」
 エルシェが、がばっとラテルに抱きつく。
「なっ……」
「リーファ、やっちゃえー♪」
「クアアアア」
 ――話が進まない。
「だから……」
 がっくりと肩を落としたファルクに向かい、ルシェインが申し訳なさそうに言う。
「すみません、わがままな兄で……」
 一方年寄り組。
「――どれくらいかかりますかな」
「この高さを往復ですから、片道で十五分……一人運ぶのに三十分はかかると思います」
「……少々かかりすぎるかもしれませんな。全員運ぶとなると……」
「ええ、ですから2、3人でいいと思います。下手に人数がいても、危険が増すだけですし。そうですね、ルシェインさんは怪我をなさっているようですから、私とラテルで見てきましょうか。曲がりなりにもドラゴンハーフ、少しはましでしょう?」
「なるほど」
 とりあえず話がまとまると、ゼフィは特に、まだじゃれあっているラテルに向かって告げた。
「壁なんだが、リーファを使って一人ずつ越えて行こうと思う。が、全員で行くのも時間の無駄だ。とりあえずはラテリシア、おまえと賢者殿に偵察を頼みたい」
 ラテルの眉が皮肉げにつり上がる。その時だ。
「待って下さい!」
 ルシェインが割り込んだ。
「父は、父は己の血を継ぐ私たちを憎んでいます。もし兄が今の父に見つかったら、間違いなく殺されます」
「父って……まさか、あの竜が?」
 ファルクが尋ねると、ルシェインは悲しそうに頷いた。
「――詳しいお話を。あの氷竜の素性から、こうなってしまった経緯まで、国家機密だった部分も含めてお話し下さい」
 テューが促すと、ルシェインに代わってゼフィが進み出た。
「私がお話しします。この中で知っているのは、実のところ私だけですし……こうなってしまっては、話すしかありませんからな。私は――将校とは名ばかり、ドラゴンハーフの監視員を務めておりました……」

<更新日 2000.05.12>


ゼフィによる、セリーゼと氷竜の話

 あの氷竜は、そもそもはるか北方のロディーヌ山――世界でも有数の高さを誇る、極寒の雪山に暮らしていたものです。それを二十数年前のこと、セリーゼの精鋭部隊十数名が捕獲に行ったのです。まだ人間を知らなかった氷竜は、彼らの張った罠にかかり、魔法で身を縮められてセリーゼに連れて来られました。
 誇り高き知恵ある氷竜にとって、セリーゼでの、自由と誇りを奪われた二十数年間は、さぞ屈辱的だったことでしょう。証拠に、やつは怒りのあまり、こうして故郷に帰らず復讐しております。
 ところで、我々は氷竜から、体表と遺伝子を奪いました。氷竜の背中側の皮は非常に硬く錆びもせず、加工材料として最高なのですよ。そして遺伝子――既に成獣となったドラゴンを、今さら手なずけるなど無理なこと。かといって幼獣を育てていては、百年も二百年も過ぎてしまう。そこで王は考えたのです、ドラゴンハーフを手なずけようと。そのための遺伝子ですな。
 生まれた子供は4人。上からラテリシア、リーファ、ルシェイン、レイゼンと名付けられました。
 しかし、我々は育て方を誤ったらしく――上2人は結局自由を求めて脱走し、私は彼らを、特に人の姿をしたラテリシアの方を連れ戻すべく、ここしばらく国を空けておりました。
 そしてつい先日、緊急事態の知らせを受け、私は急いで国へ取って返したのです。こちらに到着し、私は氷の壁とルシェインだけを――弟の首を抱え、茫然自失の彼女だけを見つけ出しました。
 竜を解放したのはルシェインとレイゼンです。されるがままの竜の姿を見かねたのでしょうな。しかし、自由を取り戻した竜は――喜びよりも怒りと憎悪を表し、己を解放した子供達に感謝するどころか、忌まわしきドラゴンハーフと見て襲いかかったのです。レイゼンは首を噛み切られ、ルシェインも爪で胸を裂かれました。氷竜にはまだ縮身の魔法が効いており、その上衰弱してもおったので、ルシェインはどうにか逃げ切りましたが――


「じゃあ、彼女を追っていたのは……」
 ファルクが怪訝そうに尋ねる。その問いにはルシェイン本人が答えた。
「ドラゴンハーフ監視員の一部です。ゼフィ様が不在の間に、やはり、私が説得するしかないと言い出して……でも、それができるくらいなら、どうしてレイゼンが死んだと……言……」
 彼女の声は次第に震え出し、ついには涙声になった。
「こんなつもりじゃ……」
 ラテルが黙って彼女の肩を抱き寄せる。
 涙は止まらなかったが、ルシェインは少し落ち着いたようだった。
「俺の母の名は?」
 話の流れを大きく逸れて、ラテルがゼフィに聞いた。
「……おまえ、つくづくセリーゼがどうなっても構わんのだな。父竜と一番気が合いそうだ」
「ごまかすな、答えろ。俺の母の名は?」
 ゼフィはしばらくラテルを見ていたが、やがて言った。
「――メリー・ローラン王妃」
「――!?」
「おまえの父は氷竜だ。つまり、おまえにラスター陛下の血は流れておらん……。が、王妃自身が王族の出だ。もし都が全滅したら、おまえが正統のセリーゼ王だ」
「冗談……」
「冗談だ」
 あっさりそう言われ、ラテルは素直に苛立った。しかし、ゼフィは意味ありげに微笑んでいる。
「王妃が犠牲にされたのは、セリーゼ王宮秘中の秘――誰もおまえが王妃の子だと、認めはせんよ」
 ――何だって?
「おまえの美貌は母親似だ、ラテリシア。誰もおまえの素性を認めはせんが――疑いもせん」
「……」
「気が済んだか?」
 ラテルはしばらく黙っていたが、やがて低い声で尋ねた。
「――なぜ、王妃が犠牲になった」
 しばらくの沈黙。
「……王は、より利用価値のある女性に出会い、メリー様が邪魔になったのだ。公には病没したと公表し――」
 ゼフィは軽く目を伏せて、呻くような小声で言った。
「地下牢でおまえとリーファを生ませた。メリー様は……王に殺されたのだ」
 キン――
 ラテルの怒りが、ほんの一瞬辺りを冷却した。氷点下の憎悪だ。初夏だというのに、彼の周囲数十センチにのみ、霜が降りた。
「ラテル……」
 わずかにファルクが呻いたが、それだけだった。しばらくの沈黙。
「降りますか?」
 テューの静かな言葉がそれを破った。ラテルが大きく目を見開く。テューは彼に同情するでも、憎悪が何になると説教するでもなく、ただ、簡潔に聞いた。事実を知った上でも協力する気があるのかどうか。
 テューは確かに、他人に干渉するのを避けている。
 命賭けの危険な依頼は受けるくせに、テュー自身はまるで他人に何かを求めない。もはや、それは無欲だとか謙虚だとかそういう次元を超えた――まるで、自分自身などどうでもいいような、むしろ投げやりな姿勢でのものだ。
 痛みと虚しさだけを秘めた神秘の瞳で、寂しさを埋めるようにエルシェやリーファやファルクや――周囲の生命を愛でる者。それがテューだ。
 ――苛々する――
 ラテルは憎々しげにテューを睨みつけ、それからリーファの方へと歩いた。
「行ってやるさ。何も変わらん――もともと、好きでこの場所に来たわけじゃなし」
「――納得していないのだったら、行くことはありません。命を落としかねませんよ」
「……おまえが言うな」
 ラテルは不機嫌そうにそう答えると、ぶっきらぼうにエルシェに向かって言った。
「行くぞ」
「え……でも……」
 エルシェは反射的に何か言いかけたが、結局口を挟むべきではないと判断したらしい。何も言わずにリーファにまたがった。
「乗って」
 ラテルが裾の長いローブと格闘しながら乗ろうとした時だ。
「私が先に行きます」
 テューが静かに。けれどきっぱりそう言った。
「――何?」
「その服では動けませんよ、ラテリシア。服をかえて来て下さい」
「――おまえが言うな、だから。おまえの方こそずるずるだろうが」
 ラテルの指摘に、ファルクとゼフィが何とはなしに顔を見合わせる。ここに剣士がいるのに、乗り込むのは魔法使いの2人というのも、何だかおかしな話だ。
「私は動けます」
 テューは言うが早いか、一番上に羽織った白いローブを脱いだ。途端にこざっぱりとした、いかにも動きやすそうな軽装になる。足首だけきゅっと絞ったゆったりしたズボン、白いブラウスに優しい紺のベスト。
 男性にしては小柄なテューは、上着を脱ぐとそれこそ細すぎるほどスマートで――ひどく頼りなげに見えた。
 思わず不安を覚える周囲をよそに、テューは手早く上着をまとめ、何事もなかったように腰に巻いた。
 ――腰に?
 そう、腰に。テューの上着はいつぞや棒になったように、今度は白い帯になっていた。
「テュー、今の何!? 魔法?」
 エルシェが目をまん丸にして問いかける。
「ええ。この布自体に特殊な魔力があって、私の意思の通りに変じてくれるんです」
「布に……じゃあ、あたしでも使えるの!」
 テューが残念そうに首をふる。
「私の母が作ったもので、私にしか使えないんです。それに、両親の形見ですから……」
「……形見……」
 何気なく繰り返した後、エルシェは思わず聞いていた。さすがに遠慮がちにではあったが。
「ご両親、亡くなった……の……?」
 テューは曖昧な顔で――気を悪くしたようでも、つらそうなわけでもなかったが、ちょっと困った顔で彼女を見た。
「父は4つの時に亡くなりました、覚えていないんですが。母は――」
 遥か、エディフェイラをみはるかすように、テューが遠くを見やる。
「――生きてはいるんだろうと思います。ですが、会うことは……。私にも母にも、いえ、私に母の記憶がないんです。顔も居場所もわからぬ母を……正直、今さら探してみる気も起きなくて……」
「ええー!?」
 エルシェが心底意外そうに声を上げる。
「何で!? 生きてるんなら探そうよ。絶対会いたがってるよ、お母さん」
「……」
 テューはどこか諦め顔で首をふり、優しく言った。
「行きましょう。その話は、エディフェイラでゆっくりしますから……」
 エルシェは少々不満げだったが、言われた通りにリーファをしゃがませた。器用にリーファの背に登ったテューが、ややためらいがちにエルシェの腰に手を回す。
「行くよー、リーファ、『勇気!』」
 グアァ!
 一声返し、リーファが大きく羽根をはばたかす。かなり強い風が吹きつけた。
「勇気……?」
 風から顔を庇いながら、ラテルが不可解そうに言う。
「飛べって合図らしいよ。他にも愛とか絆とか……いろいろ作ってる」
 ファルクが笑いながら答えると、
「……あほか」
 ラテルは一つため息をつき、晴れた空をふりあおいだ。

<更新日 2000.05.18>


第8節

「着陸ー」
 無事氷の壁の反対側にテューを下ろすと、エルシェが言った。
「テューの腕って、すごく優しいね。なんか、気持ち良かった。得した気分♪」
「……はあ」
 テューが困ったような、ほっとしたような顔でエルシェを見る。
「……不愉快でなかったなら……良かった」
 不慣れな調子で、どうにかそれだけ答えるテュー。エルシェはにっこり笑った。
「じゃあ、すぐにラテルも連れて来るからね。気を付けて」
 再び舞い上がっていくエルシェを身ながら、テューは遠い記憶を掘り起こしていた。
 ――気持ち良かった?――
 そんなふうに、形を持って認めたことはなかったけれど……。
 遠く優しかった昔を思い、テューは一人、寂しげに微笑んだ。誰より大好きだった。あの人がそばにいた、幸せだったはるかな過去は――おそらく、二度と戻らない。
「……ディーンさま……」
 テューは静かに帽子を取り、しばしそれに巻いたリボンを見つめた。ただ一つ許された、ささやかな形見。
「……」
 戻らない。あの頃は――



第9節

「ちょっとー、何やってんの!?」
 初め、エルシェはピシっと決めたラテルを見て、ひどく喜んだ。セリーゼの青灰色の軍服が、ラテルをびっくりするほどかっこ良く――まるでどこぞの国の王子のように見せていて。
 しかし。
 しょせんは中身がラテルだ。外見はスラリと決まっていても、(やや冷たい感じの美青年に)優雅な仕種ができようはずもなかった。何と言ってもドラゴンハーフ、とことん無骨な青年だ。
「やかましい、ちゃんと乗ってるだろうが」
「どこがよ! ちゃんとつかまってよ、落ちるよ!?」
「どこにつかまるんだ、どこに。つかまりようがないだろう!?」
 ムキになってそう言うラテルに、エルシェがきょとんと答える。
「あたしに決まってんじゃん。ほら、ぐずぐずしないっ」
「なっ……誰がおまえなんかにつかまるかっ」
「はあ!? ちょっと、わがまま言ってないで……」
 もはや何も言う気になれず、ただただ頭を痛めるファルクとゼフィ。
 この非常時に、問題はひどく低レベルである。
「ったく、あいつは……」
 ゼフィが疲れた声を出す。
「あの子が好きなんですかなあ、あいつは」
「は?」
 ゼフィにしみじみそう言われ、ファルクはきょとんとゼフィを見返した。『仲良さそう』とは言いがたい光景なのだが。
「あれは昔から……『構い方』がわからんもんなのか、気に入ったものは、みんな壊してしまう子だったから――特に人が気に入ると、こう、むっつり口を結んで、睨みつけるんですな。とても好意があるようには見えんのですが、まあ、『ケンカするほど仲が良い』とも言いますし……。気になるものだから、構おうとして攻撃してしまう。不器用なやつです」
「……」
 気になるから攻撃する?
 ファルクは思わず、どうやらエルシェにやっと負け、しぶしぶつかまっているラテルを見た。エルシェもラテルもひどく不機嫌そうだ。
「それって、エルシェと言うより……」
 言われてみると、確かに思い当たるフシはある。しかし、ラテルがわざわざ突っかかるのは――
「気になるのかなあ……?」
 ファルクはもの珍しげにラテルを見た。

<更新日 2000.05.26>


第10節

「……たいしたもんだ」
 もはや道とも言えない道を――大小の氷の破片と瓦礫が散って、ほとんど形ばかり残った道を歩みつつ、ラテルが言った。氷竜が荒らした後なのだろう。家々は倒壊し、溶けた氷に道はぬかるみ、氷竜の食べ残し――直視に耐えないものがある――からの腐臭でほとんど地獄のようだった。
 他のメンバーを連れて来なかったのは、それこそ正解だっただろう。
「大丈夫か?」
「……ええ……」
 幾分悪い顔色で、それでもペースを崩さず答えるテュー。
 吐かないだけでもたいした神経――それほどの惨状だ。
「……一体どうするつもりだ? 言っておくが、ゼフィのことだ。『打てるだけの手を』なんて言ってたが、どうせ何も考えてない。おまえが指示することになるぞ」
 養父に対し、言いたい放題のラテルである。
「……真面目な方なんでしょう。ただ、そうですね……とりあえずは偵察してからです。氷竜の状態、大きさ、憎悪の度合い――町の状態によっては、エディフェイラの援軍を待つより、生存者が一致団結して戦う方がいいかもしれません。今の段階では、まだ何とも言えないんですよ」
「……ちゃんと意味があるんだな」
 やや感心した口調でラテルが言った。つまり、偵察に意味があるとは思っていなかったのだ。それでも仕方ないから同行していた――そういうことらしい。
「ラテリシア」
 テューがふいに足を止め、押し殺した声で言った。その視線に促され、ラテルもすぐに見出した。氷竜だ。
「でかい」
 リーファの比ではなかった。小城ほどの巨大な体躯、くすんだ青緑の体表。寝ているのか食べているのか、瓦礫に半ば埋もれているので気付かなかったが……。
「テュー!?」
 あまり大きな音を立てないように気をつけながら、テューが氷竜に向かって走り出す。
「大きさを確認してきます。ここからでは、大きいことしかわからない」
「待っ……」
「そこで待っていて下さい」
 それだけ言い残し、テューはあっという間に瓦礫の向こうに消えてしまった。異様に悪い足場をものともしない。
「……」


 テューは手近な風車を見つけると、迷わずそれに登った。少しでも高いところから見下ろすためだ。
 ――え……!?――
 ざっと眺めた途端、テューはさすがに目を疑った。風車の一番高いところから身を乗り出し、氷竜の背中を凝視する。
 氷竜の体表は、くすんだ青緑でなく、リーファと同じ青だった。
「……ひどい……」
 知らず、呟きが漏れる。
「――なんて事を――」
 テューは哀しげな目で氷竜を見つめ、それから都を見渡した。
 氷竜の体表は青かった。緑がかって見えたのは、あちこちから染み出す血の色だ。氷竜の背は、体表をあちこち剥がれてぼろぼろだった。
 町も同じようにぼろぼろだった。
 セリーゼは、もはや死の都――そうとしか呼びようのない状態だった。
 バキバキバキッ
 家々を踏み倒し、氷竜が動いた時だ。
「きゃああーー!」
 その足元から悲鳴が上がった。
 一人の少女が、夢中で駆けて行くのが見える。たった今壊れた家に隠れていたようだ。
 氷竜が悲鳴のした方向に、不吉な視線を向ける。
「!」
 本来金のはずの氷竜の目は、しかしどこか異様なクリーム色だった。見えているのかいないのか、疑わしいほど薄い。
 ヒョオオオオォォ――
 竜が息を溜める音。
 数秒のうちにも、ブレスが吐き出される予感。
「おやめなさい!」
 テューの澄んだ声が響き渡った。


 ――あの、馬鹿っ。
 その頃には、ラテルも何とか風車の下までたどり着いていた。
 しかし――

<更新日 2000.06.11>

ラテリシア
 ここでわざわざ叫ぶやつがあるか!?
 確かに、あの子供を助けたいなら他に方法はないかもしれないが――
 すでに百人死んでいて、百一人目が死ぬかどうかより、偵察の成功が優先のはずだ。今あの子供を助けたところで、このデカブツをどうにかしないと犠牲は増えるばかりだと――わからないはずがないんだ、あいつに。
 一体何を考えてるんだか。
 ああ、ハナから気に入らなかった。
 頭も力もありながら、とぼけた顔でふらふらしているあいつが。
 たいていのことはわかっていながら、こちらが聞かなきゃ助言もせずに失敗するのを見ているあいつが。
 まるで何もかんもどうでもいいような態度じゃないか。
 まあ、俺だってたいていのことはどうでもいいが……。
 そんなことはいい。
 とにかく、俺はテューが嫌いだ。ゼフィあたり、余計なことを言ってたようだが、冗談じゃない。俺は生まれてこのかた、誰かを気に入ったことなどない! 断じてない!
 誰もかれも――
 俺の都合などおかまいなしで、みな自分の都合を押しつけるんだ。
 知るか、どうなっても。
 勝手にすればいいんだ、他人の面倒まで見ていられるか。
 ほんとに知らないぞ、どうなっても。
終わり

 バキッ
 テューの声に応えるように、氷竜がふり向いた。ブレスを吹く準備は万全だ。
「これ以上命を削ったら、生きていられなくなります! もうおやめなさい!」
 続けてテューが叫んだ。
 クリーム色に濁った氷竜の目が、すいっと細められる。
 ――人間が! 貴様らを滅ぼすためなら、命などいらぬわ!!――
 地の底から響くように怒鳴り、氷竜は大きく口を開いた。
「氷竜! おまえは故郷より復讐を選――」
「テュー!!」
 ゴウッ!
 リーファのものとは比較にならない激しいブレスが吹きかけられた。真っ白な冷気の中に、テューの姿が一瞬で飲み込まれる。
「くっ!」
 テューはとっさに例の棒を回転させ、冷気だけは遮断していた。しかし、勢いだけでも相当だ。テューの体は軽く吹き飛ばされ、十メートル近く舞った。
「……っ!」
 勢い良く民家に叩きつけられ、テューはそのまま崩れ落ちた。
「テュー!!」
 ラテルが夢中で駆けつける。
 ――まだいたか――
 ラテルの姿を認め、氷竜が再び息を溜める。
 ――殺られる!
 ラテルはぎゅっと目を閉じた。
 その時だ。
「逃げるのよっ」
 可愛らしい小さな声がして、空からこぼれたような淡い光が二人を包んだ。
 ゴコゥウゥ!
 二度目のブレスが吹きかけられ、周辺全てを氷で閉ざした。

<更新日 2000.06.17>


第11節

「……あ……?」
 わけもわからず、ラテルは辺りをきょろきょろ見回した。
 生きている?
「あああ、テュー、テュー、起きて〜」
 落ち着かなげに、心配そうにふわふわ漂う妖精一匹。
「クーリ……」
 つまり、妖精の魔法で逃げた?
 人心地つくと、ラテルは再度辺りを見回し――
「……おまえが助けてくれたのか?」
「そうよ。ラテルってば役立たずね。ちゃんとテューを助けてよ」
 むかっ。
「それはこっちのセリフだ。おまえこそ、どうしてもっと早く出て来こない!? だいたい、どうせなら外に飛ばせばいいものを。どうして都の中なんだ」
 ラテルが言うのも仕方なかった。どうやら瞬間移動したようなのだが、あろうことか、そこは遠くに氷竜の見える位置だった。
「無茶言わないで! クーリは月の精なのよ!? お月さま、出てきたばっかりなんだから。だいたい、ラテルもテューもおっきすぎるのよね。満月でもなきゃ、いっぱいなんか飛ばせないんだから」
 ぷりぷりと、珍しく怒った様子のクーリだ。
「ああ、いやあん」
 ふいにクーリの姿が揺らいだ。
「どうした?」
「雲が……」
 そう言ったか言わないか。クーリの姿は消えてしまった。思わずラテルが見上げると、雲が月を隠したところだった。
「使えないな……」
 命の恩人に対し、やっぱり言いたい放題なラテルだ。
「テュー……」
 テューはぐったりしたまま、ぴくりとも動かない。
 さすがに帽子が乱れ、テューの髪を幾筋かのぞかせていた。
 ――若葉色?
 珍しい色だ。少なくとも、ラテルはこんな色は初めて見た。
「テュー、おい」
 ぎこちなく抱き起こしてみる。
「!」
 ぎょっとさせる手応え。背中側が、いやな感じに濡れていて……。
 確かめると、やはり血の濡れだった。打ったのか擦ったのか、致命傷ではなさそうだったが、ひどそうだ。
「あー……」
 こういう時、まず、どうすれば……。
 やはり、とりあえず服を脱がして止血だろうか。
 多分。
 いくら何でも、血が流れっぱなしというのは危険な気がする。
「何で俺が……」
 文句たらたらテューの上着の止め紐を外し、前を開き――
「――……」
 ラテルはしばし硬直した。
 服の下に、布が巻いてあるのはいいとして……いや……。
「おんな……?」
 バッ
 ラテルはあわててテューの服の前を閉じ、そのまま思わず手を離した。
 びっくりして、びっくりして、手が震えている。
「なんだなんだなんだ……? 何で……こ……」
 脱がして止血!? そんなことが、でき、でき、でき――
「う……ん……」
 ラテルが再び硬直する。微かに呻き、テューがうっすら目を開けた。
「つっ……」
 起き上がり。
「……!」
 テューはものも言わず、いきなり手元にあった棒を何本かラテル目がけて投げつけた。
「うわっ。やめろっ」
 いつもだったら怒りまくるラテルなのだが、さすがに動揺している。テューはもっと動揺していた。
「……こ……」
 頬を真っ赤に染めて、震える手で服の前を閉じている。
「ご、誤解するな! おまえが怪我してるから、手当て、しよ、しよ、してやろーと……」
 つられるように真っ赤になって、ラテルは夢中で弁明していた。
 そうだ、やましいことは何もない。ないのに、何で動揺して――
「……す……すみません……」
 それでも、どうやら事情はわかってもらえたらしい。テューが微かな声で謝った。
「あ……ああ……」
 気まずい沈黙。
「……向こう、向いてて頂けますか」
「あ」
 ラテルはあわてて従った。
 再び気まずい沈黙。テューが何やらごそごそ、おそらく自分の手当てをしている気配が背中にある。
「……巻くものは、あるのか?」
「……ええ……大丈夫です」
 沈黙。
「このことは……髪の色も……黙っていてほしいと言ったら……」
「……別に……」
「お願いします」
「……」
 沈黙。
「どうして隠すんだ? 不便なだけだろう?」
「終わりました」
「あ? ああ……」
 ラテルがふり向くと、テューがどうやら手当てを終えて、破裂した水道管から流れる水で手を洗っていた。
「私の髪の色は……私に人ならぬ血が流れることの証なんです。この色だけで、十分素性が知れるので……」
「人ならぬ?」
 驚いてラテルがテューを見る。
「おまえが?」
「ええ。半分は人間ですが、半分……森霊の血が混じっています」
「……」
 ラテルはしげしげとテューを見つめ、それから頷いた。
「わかった」
 パンパンと埃をはらって立ち上がる。そろそろ夕方だ。
「どうする? これから」
「あの竜……放っておいたら死んでしまいます」
 驚くべき指摘だった。
「どういうことだ?」
「まず第一に、何十年も縮められていたために、組織が薄くなっているんです。骨も肉も、体中ぼろぼろな状態です。いくら急に食べたって、そうそう回復できるものではありません」
「……? ふうん?」
 狐につままれたような顔をして、それでもラテルが頷く。
「第二に、氷竜はもともと雪山で――非常に寒い地方で暮らしていたものです。セリーゼの初夏は、あの竜にはあまりに暑すぎます。そして、日差しから身を守るべき体表が……薄くなっている上に、削り取られて役に立たない状態です。氷竜はもともと、あんなみすぼらしいものではないのに――」
「……どれくらいで死ぬ? 殺す必要がないなら、手間が省けたな」
 ドライと言えばあまりにドライなラテルの発言を、しかしテューは非難しなかった。
「ブレスを吐くと、少なからず体力を消耗します。あの竜……立つのもやっとの重病で、全力疾走をしているようなものです。あの様子では……おそらく、あと2、3回もブレスを吐けば……」
 ラテルが目を丸くする。
「2、3回!? 貴重な2回をあんなにあっさり吐いたのか」
「もう、怒りと絶望に我を忘れているんです。力尽きるまで人を殺して、この都と共に滅ぼうと……」
「不毛だな」
「故郷に、帰してあげなくては――」
 言うなりふらふらと立ち上がる。
「おい、ばか、歩くな」
「大丈夫です。それより、どうなるかわかりませんから、あなたはここで――」
「〜」
 ラテルはしばらく額を押さえて黙っていたが、やがて、諦めたように言った。
「運んでやる。その傷で歩くな」
「え……」
「早く。時間がないんだろう」
 ラテルは半ば強引にテューを背負うと、黙って歩き出した。
 ばかなことをしているな――
 つくづくそう思う。
「傷は平気か?」
「……はい……」
 ラテルは妙に落ち着かないのを持て余していた。本当なら、今すぐテューを放り出し、どこでもいいから一人になれるところに行きたかった。
 しかし――
 自分の体をまるでいたわらないテューを、この場に放っておけるわけがない。
 ――まったく、とんだ面倒ごとに巻き込まれたな……。
 間もなく夕暮れだ。

<更新日 2000.06.23>


第12節

 森の匂いがした。
 氷竜はどこからともなく流れてきた森の匂いに、身を震わせた。
 ――おお――
 もう、二十年以上失っていた、懐かしい匂い。
 慣れ親しんだ冬の匂いではないけれど……。
 ――いずこから――
 氷竜はゆっくり辺りを見回し、半壊した屋敷のテラスに驚くべき人影を見た。
 ――きさま、まだ生きておったか!――
「氷竜――」
 テューが澄んだ声で呼びかける。
 ――一体、うぬは何者ぞ――
 テューが落ち着いた仕種で被り物を取る。すると、豊かな若葉色の髪が露になった。
 氷竜の目はあまり見えていなかったが、群を抜く気高さ、美しさ、そんなものをどういうわけか、目の前の存在に感じずにはいられなかった。
「私もあなたと同じ」
 ――我と?――
「人に欺かれ、捕らえられ、殺されかけた森霊ハーフです」
 ――なに――
 氷竜の目が大きく見開かれる。
 ――戯れ言を申すな! ならば、なぜ人間に肩入れする!? 森ならぬ場所をうろつく森霊など、森霊ではないわ!――
 テューは静かな声で、けれどきっぱり言った。
「私の愛する方も人間だからです。憎むべきは人にあらず――彼らの罪です。哀しむべきは、彼らの弱さです。私は憎むより、哀しむより、あなたを故郷に帰したい」
 ――故郷に……? 笑わせる。ならば、なぜおまえは帰らぬ?――
「愛する方と、命の奪い合いになるからです。エディフェイラが滅びかねないからです。愛した祖国を、母なる森を、私が失うことで傷つけずに済むのなら――」
 氷竜は皮肉げに笑ったようだった。
 ――不幸な定めを負う者よ。ゆめゆめ、人間などと交わるものではないわ――
 テューが静かな微笑を返す。
「おっしゃる通りかもしれません。けれど、両親は愛し合っていました。出会ったことを、後悔してはいないはずです」
 ――愚かなことだ――
 いまだ、氷竜は人間を否定していたが、彼女のためか、森の匂いのためか――次第に正気と穏やかさを取り戻しつつあるようだった。
 ――美しい娘、名は、何と言う――
「テュー・ニースと申します」
 ――ほう、テュー・ニースと申すか。我が名はレムザ。一千年の長きを生きた古の竜――
 一千年!?
 テューもさすがに驚いた。それほどの大物とは。
 ――我が名を汝に与えん。テュー・ニース、我を故郷に帰せ――
 テューは畏敬の念を込めて膝を折り、深く頭を垂れた。
「お望みのままに」

<更新日 2000.07.02>


第13節

「ひょえ〜」
「大きい……」
 氷竜を間近に見、それぞれが思い思いに感嘆の声を上げた。
「テューってすっごーい。ドラゴン、説得しちゃったの?」
 エルシェが目をまん丸にして言う。
「説得されもするさ。あんな――」
 あの気高さ。美しさ。誰に逆らえよう。
「ラテル?」
 何か思い出したようにラテルが顔を赤くする。エルシェはそれを不思議そうに見た。
 ――テュー・ニース。いかにして我を山に帰す気だ?――
 氷竜が問うた。
「翼をお貸しします。あなた自身のお力で、故郷にお戻り下さい」
 そう言うと、テューは例の布を大きく広げ、何やら呪文を唱えた。
 ――おお――
 布はみるみる薄く大きく膨らみ、氷竜のぼろぼろになった羽根を覆った。
 ――フ……。今の我に、飛ぶ力があると思うか?――
 テューは輝くような笑顔を見せた。
「思います。あなたは、この世で最も強き存在――誇り高き古の竜」
 ――その通りだ――
 氷竜は大きく翼を広げると、力強く羽ばたかせた。
「うわっ」
「きゃあっ」
 居合わせた全員が風に煽られ、エルシェなど転がった。
 ――いざ、我が故郷へ!――
 バサッ
 背に小さなテューを乗せ、氷竜は舞い上がった。
 転がったエルシェがあわてて起き上がり、急いでリーファに乗って後を追う。
 テューを連れ帰るためだ。
 テューは「歩いて帰ります」などと言っていたが、そんなばかな。
「気をつけて――!」
 ファルクにガッツポーズで応え、エルシェもあっと言う間に小さくなっていった。



第14節

 テンテンテン
 カンカンカン


 セリーゼの都はしばらく、家の建て直しやら、道の作り直しやらで大忙しだった。到着したエディフェイラからの援軍は、そのまま、人々の救助活動に当たっていた。
「エルシェたち、遅いな」
 あれから5日。2人はまだ戻らない。心配げなファルクの言葉に、
「知ったこっちゃない」
 ラテルが不機嫌そうに答える。実のところ、ファルク以上にラテルの方が気をもんでいた。テューが怪我しているのを知っているだけに――
「なあラテル。おまえ、テューのこと好きなのか?」
「なっ……」
 カッと赤面し、ラテルは怒り心頭、ファルクに怒鳴りつけた。
「バカも休み休み言え! 誰が――」
「待てよ、そんな、へんな意味じゃないって。ただ、気になってるみたいだったから……って……」
 ファルクはきょとんと抱えの魔法使いを見た。
「何で赤くなってるんだ? おまえ……」
「うるさいっ!」
 ラテルは癇癪を起こしたようにファルクを蹴飛ばした。
「うわっ」
「二度と言うな! 俺はあいつがこの世で一番嫌いだ、わかったな!? だから、あいつの話は金輪際するなっ」
 クエーッ
 足場を蹴飛ばされ、グレインローゼが不愉快そうに鳴く。
 と。
「それ、私のことですかー?」
 いつも通りの呑気な声で。タイミング良く、空からテューが降ってきた。
「あ。おかえり」
 ファルクが平和に迎える。
「ただいまー♪」
 エルシェが元気に答える。どうやらうまくいったようだった。

ファルク
 驚いたなあ。一体、何だっていうんだろ? そんな、ムキになって怒るようなことじゃないと思うんだけど。ラテルって難しいんだよな。
 うん。
 エルシェとテューは無事だった。
 氷竜も、無事故郷に帰れたそうだから。
 だけど……。
 氷竜はいなくなったけど、セリーゼは大変だよ。たくさん人が死んで、町並みも破壊されて……。無事復興できるといいんだけど。
 ラテルもなあ。ルシェインを見習って、復興に手を貸せば良さそうなんだけど、全然興味がないらしくてね。ま、もとからそーゆーヤツだけど、あいつ。
 そうそう。
 この一件で、テューの名前はまた上がったよ。
 竜を制した賢者として、国から称号をって話も出てたんだけど、テューが辞退しちゃってね。どうしても城に行きたくないらしいんだ。名が上がるのもいやそうだった。何でかなあ?
 もうすぐ夏の祭典で、しばらく忙しいんだけど……。エディフェイラでも、テューのことはすっごく噂になってて、みんな一目見たがってるんだけど。多分、参加してくれないと思う。いつか、もっとみんなに顔を見せてくれたらなあ。
 ああっと、エルシェが手伝いに来てくれたみたいだ。仕事しなくちゃな。
終わり

<更新日 2000.07.06>



* 
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